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          北方謙三−三国志(9)軍市の星

■馬超を麾下に加える

<本文から>
 客将として迎える気はなかった。客将がどれほど頼りないものか、乱世のほとんどを客将として生きてきた劉備には、よくわかっていた。迎えるなら、麾下下である。
 そう決めて、孔明に会いに行かせようとしたら、張飛が簡雍を推挙してきた。これも、めずらしいことだった。
 「簡雍殿は、まだお戻りになりませんな」
 細かい報告が終ると、孔明が言った。
 やはり馬超の気になって、劉備の居室を訪ったものらしい。
 「馬超とは、どういう男なのだろうと、このところしばしば考えていた。曹操に、決して屈しなかった。それだけでも、とんでもない男だという気がする」
 「英傑でありましょう。しかし、こういう乱世では、生きにくいのかもしれません。戦では互角に闘っても、謀略で、着物を一枚ずつ鮒がされた、という感じがあります。それで曹操に負けたのです」
「それでも、生き延びている」
 「涼州の民は、馬超を嫌っていないということです。ああいう男には、謀略に長けた男が必要だったのだと思います」
 「絶望の剣。悲しみの剣。張飛はそう言っていた。いまのままでは、なんの役にも立たぬ剣であるとも。一族のすべてを曹操に殺され、それでも涼州、雍州の盟主として闘い続けなければならなかった。それが、馬超という男を変えたのであろうか?」
 「一族を殺された痛みがどんなものか、私にはよくわかりません。誰も馬超の心を動かせぬほど、冷えきっている、と張飛殿は感じられたのでしょう。しかし、簡雍殿がいた、ということです」
 「張飛が、簡雍を推挙か」
 「私には、張飛巽徳というお方が、ようやくわかってきたという気がいたします。想像した以上に、深いものをお持ちです」
 「私が趙雲をかわいがると、拗ねて泣きじゃくったりしていたものだ。まだあんな髭が生えてもいないころの話だが」
 「馬超は、殿の魔下に加わる、と私は見ています。張飛殿が、簡雍殿を使者に推挙した時に、それは決まったのだという気がします。簡雍殿は、酒の瓶を二つ持っていかれたそうですね」
 張飛が感じたことと、簡雍が感じたことは、また違うのだろう、と劉備は思っていた。簡雍は、戦には出ない。しかし、心と心の戦については、幕僚の中の誰より通じている。それは、謀略というはど作為的なものでなく、人情と呼ぶほど甘いものでもない。
 「人は、集まってきたな」
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■五斗米道は曹操に降り、兄と別れる張衛

<本文から>
  剣の柄を、張衛は握りかけた。
 それを抑えたのは、いままで見たこともなかった、兄の涙だろう。
 「おまえの天地は、漢中ではなかった。五斗米道ですらなかった。私を兄に持ったばかりに、おまえは自分の天地を駈けることができなかったのだ、と思う。おまえがいつも、岩山の頂に裸で座り、なにを考え、なにを夢見ていたか、私にはわかっていた。私という人間とは、あまりにかけ離れていたことだったのだ。それでも、私はおまえを利用した」
 「そんなことは、ありません。もう少し、兄上が私を信じてくだされば」
 「いや、利用した。母上や弟たちが、劉璋に殺された時、私はどこかに逃げて、ひっそりと暮したいと思った。五斗米道という信仰も、ひそかに心に抱いたままで、数十人か数百人の信徒とともに、小さな集落でも作って暮したかった。しかし、何十万という信徒が、すでにいた。だからおまえに漢中を守らせ、そこを大きな集落にしたのだ」
 わかるような気がした。兄は、決して漢中から出たがらなかった。肉親を殺されたがゆえに、劉璋を憎み、自分の命を奪おうとしてきたことで、それは恐怖に変った。
 平凡な、普通の人間なのだ。だからこそ、教祖たり得たのだとも思える。
 「遅くありません、いまからでも。五斗米道軍は、六万五千もいるのです。どこかと同盟していれば、最強の者であろうと、手を出すことなどできないはずです」
 「そういう時代では、なくなった。私は、そう思っている。やがて、覇者が現われる。同盟を結んでいる者が、覇者になるかもしれぬ。その時、こういう集団の存在は許きれはしないだろう。私は、覇者を曹操だと見た。だから、いま曹操に降伏する。それが、細々とでも五斗米道の信仰を守る道だ」
 「兄上」
「これは、教祖として決定したことだ、張衛。ただ、おまえにまで、強いることほしない。曹操に降伏するのは、おまえにとっては死ねと言われることに等しかろう。五斗米道の信者でもないおまえが、信仰のために死ぬことはない」
 肺腑を衝かれたような気分になり、張衛は出しかけた言葉を呑みこんだ。自分に信仰がないことを、兄はとうに見抜いていたのか。
 「漢中を去れ、張衛。南鄭にあるもので、必要なものはすべて持ち去れ。教祖として、私がそれを許す。五斗米道のために、おまえはそれだけの働きをしてきたのだ」
 張衛は、うなだれた。自分も、五斗米道を利用してきた。自分の夢は、五斗米道を利用するところから、すべてが生まれてきたものではなかったか。
 なにか、大きなものが、崩れた。いや、消えた。
 張衛にあるのは、その思いだけになった。
 長い間、兄と二人きりでむかい合っていた。言葉は、もうなにもなかった。斬ろうという気持も、失せている。

 劉備について、ひとつだけ曹操が羨望に近いものを覚えるのは、その麾下に抱えた武将たちだった。関羽、張飛、趙雲。それに加えて、馬超である。
 人も、集まっている。諸葛亮が、死んだ靡統が、馬艮が、なぜか劉備のもとに参じている。自分のもとへ来れば、もっと大きな、意味のある仕事をさせられる老たちばかりである。
 なぜ、あの男に。それは、関羽と張飛を従え義勇軍として黄巾賊と闘っていたころから、曹操が抱いていた疑問である。劉備がどんな状態になっても、中心にいた武将で裏切った者はいなかった。無理に服従させようとしない。それは劉備らしい。しかし、臣従ということは、服従ということなのだ。どこかで、まやかしを使っているのか。それともなにか、自分には理解できない、人を魅きつけるものを持っているのか。
 大きな敵になったものだ。曹操は、そう思った。呂布に追われて自分を頻ってきた時は、敗残の将軍だった。それからも長い間、拠って立つ地さえなかった。
 それが、気づくと、大軍ではなくてもしっかりした軍を持ち、自分の覇道を遮ろうとまでしてきている。見事な男だ。心底から、そう思うことがある。乱世がはじまってから、ここまで生き延びたのは、計分とあの男だけなのだ。孫権は、孫策という兄が残したものを、たまたま手にしただけのことだった。
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■孫権は揚州の中に小さくなることへの危機感を高める

<本文から>
  孫権は、建業から出なかった。
 合肥の攻略のために、三万ほどの兵は集めたものの、これまでと違う戦になるという展望が、どこにもなかったのだ。
 合肥城の守将は張遼で、精強きわまりない騎馬隊を擁している。この騎馬隊の迅速さに、これまで何度も泣いたのだ。命を落としかけたのも、一再ではない。曹操が漠中で敗退したというだけの理由で、出兵はできないと考えていた。
 問題は、今後の蜀と魏の関係である。
 蜀は、漢中を奪ることによって、はば全域を支配することになった益州を、さらにしっかりと固めようとするのか。自分ならば、間違いなくそうする。しかし劉備は、勢いに乗って北へ兵を進めるかもしれない。
 荊州東部の関羽の動きを見ていると、その可能性が強いような気がした。
 それがうまくいけば、劉備は雍、涼の二州も多分手にする。剰州の北部と西部もやほり蜀の領地だろう。蜀と呉の力関係が、決定的に逆転するということになる。
 その時に自分が北進して、徐州と予州の一部を奪ったとしても、曹操はただ北へ退くだけの自分を肯んじるのか。雍、涼二州を押さえ、鎮撫しはじめた劉備を牽制しつつ、残りの力のすべてを南にむけてくることほないのか。
 そうなると、自分は揚州の中で押しこまれ、徐々に小さくなっていくしかなくなる。
 その時、蜀が呉のために動くことができるのか。飛躍的に増えた領地を治め、軍の編成をやり直すことで精一杯ではないのか。いや、たとえ牽制のために動く余力があったとして、ほんとうに動くのか。先年の、荊州返還問題で、関羽と一触即発の事態になった。闘ってともに滅びよう。関羽は、魯粛にそう言ったという。蜀と呉が争うことの無意味を、そういう言葉で伝えたのだろう。あの件で、お互いの不信感はかなり強くなっている。
 それでも、魯粛が生きていたら、まだそういう場合の話し合いを、蜀と持つことは可能だった。関羽とも諸葛亮とも、そして劉備とさえも関係は良好だったのだ。
 いまは、呂蒙にしろ甘寧にしろ、反劉備の感情が強い。益州を奪り、雍、涼二州を従え、天下を窺う。これはもともと周喩の戦略で、だから呉がなすべきであったという思いが強いのだ。
 軍の頂点にいた、程普、黄蓋、韓当のうち、程普と黄蓋はすでに病で死んだ。韓当も老齢である。軍は、呂蒙や甘寧、それに若い将軍たちの時代に入っていた。
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■関羽の暗殺をためらう曹操

<本文から>
 荊州を、孫権は欲しがっているはずだ。そうすれば、長江の利をすべて生かせるようになる。先年の、呉と蜀の領土問題も、孫権が荊州を欲しがったことに起因していた。
 孫権が関羽を討てば、確かに自分は楽になる。戦をする必要が、なくなるのだ。叛乱が起きた地域の民政も、立て直すことができる。しかし曹操は、釈然とほしなかった。
 汚ない手だ、と叱れるようなことでもない。最少の犠牲で済む方法ではあるのだ。自分も、そういうことをまったくやらなかったわけでほない。謀略は戦の一部であり、離間の計などしばしば使っている。謀略で負ける者は、戦で負けたということだ。
 曹丕が言っていることは、謀略とはいくらか違う、と曹操は思った。かつて、孫権の兄、孫策を暗殺したことがある。手強いと思えたが、隙は見えたのだ。実際の手配は筍或がやったが、それに暗黙の了承を曹操は与えていた。あの暗殺と、やり方は似ている。似ていないのは、あのころの曹操は四囲がはとんど敵という状態だったことだ。
 孫策は、確かに手強かった。その孫策に周喩がついていたのだ。暗殺していなかったらと考えると、肌に粟が立つ。
 しかし、関羽を孫権に討たせるのか。そういう考えが、どうしても蓼み出してくる。関羽は、そういうかたちで討たれていい武将なのか。
 関羽という男は、呉との同盟に一片の疑いも抱いていないに違いない。呉の要求に応じて、荊州東部を返還しているし、まずはこういう戦のための同盟であるのだ。せいぜい、境界線のいざこざに備えている程度だろう。
 信義というのは、関羽には絶対のものだ。
 許都で自分のもとに置いていた時も、手柄を立てて恩を返してから、去った。そうするのが、曹操に対する信義だ、と関羽は考えたのだ。それは見事なことであり、だから曹操も、厳しい追手はかけなかった。
 ああいう男が、思いもかけぬ裏切りで討たれる。それも、戦か。
 そして諸葛亮は、呉、蜀の同盟の危うさが、そのまま戦略の崩壊に至ることまで、考えているのか。考えていれば、大きすぎる賭けをしようとしているし、考えていなければ、まだ若いということだ。
 「孫権が動くという保証は?」
 「ありません」
 当然のことだというように、司馬懿が言った。
 「しかし、詳細に調べたところでは、動く態勢を作りつつあります。私は、そう思います。まず呂蒙を解任し、陸遜という若い将軍を後任にいたしました。これは、関羽の油断を誘うためです。江陵、公安にさまざまな工作をしている気配もあります」
 そして、頻繁に使者をこちらへ送ってきている。使者の件について知っていたら、自分も孫権に関羽を討たせようと考えたかもしれない、と曹操は思った。このところ使者の応対なども、よほどのものでないかぎり、曹丕に任せている。
 「若いのか、やはり」
 あるいは、純粋なのか。諸葛亮の弱点は、唯一その純粋さなのかもしれない。
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■関羽の最期

<本文から>
  夜が明けても、雪は降り続けていた。
 「郭真、旗をあげよ。関羽雲長の旗を」
 「はい」
 「城を出る。私は、最後まで諦めぬ。男は、最後の最後まで闘うものぞ。これより、全軍で、益州の殿のもとへ帰還する」
 十名。それが全軍だった。
 馬を一列にして、城門を出た。
 敵の騎馬隊が数百騎駈け寄ってきたが、関羽を見て、呑まれたように立ち竦んだ。
 「駈けるぞ、続け」
 関羽は、赤兎の腹を配った。全軍が、雪を蹴立てて駈けはじめる。遅れて、数百騎が追尾してきた。決して、追いついてこようとはしない。赤兎は、疲れているようではなかった。しかし、ほんとうは、疲れ切っているはずだ。はかの馬は、潰れる寸前だろう。
 それでも、半日ほど雪の中を走った。
 前方に、陣が見えた。およそ、一万ほどか。一千ほどの騎馬隊が突出してきた。関羽は青竜偃月刀を低く構えた。突っこむ。十騎もついてきた。五人、十人と倒していく。赤兎は、怯えることを知らなかった。むしろ、千騎はいる敵の馬の方が、赤兎に怯えていた。千騎が、後退していく。後方から、ずっと追尾してきていた数百騎が、攻めこんできた。乱戦になる。郭真が、倒れた。はかに、四人倒れた。しかし、百人は倒している。戦では大勝ではないか。関羽は、そう思った。
 一斉に、騎馬隊が退いた。
 矢が射こまれてくる。雪が見えなくなるほどの矢だ。開平が倒れた。さらに二人倒れた。赤兎にも、三木ほど矢が突き立っている。関羽の鉢には二本。青竜偃月刀でも、払いきれない矢だった。
 雄叫びをあげ、関羽は敵の中に突っこんだ。敵が、崩れていく。雪が、赤く染まる。赤兎が、荒い息とともに、血を噴き出した。それでも、駈けている。
  手綱を、軽く引いた。
  赤兎を降りる。
 「もういい。もういいのだ、赤兎。おまえは、私には過ぎた名馬だった」
 首筋に、手を置いた。赤兎が、かすかに首を動かした。それから、膝を折った。
 青竜偃月刀を低く構え、関羽は敵に−むかって歩きはじめた。
 いい兄弟がいた。いい友がいた。そして、闘い、生きた。
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