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          北方謙三−三国志(8)水府の星

■劉備は周喩の益州攻略に焦

<本文から>
  孫権の妹を、こちら側の人間にできるかどうか。それは、戦とはまた別の闘いだった。どにかく、気持をこちらにむけさせるために、毎夜、抱き続けた。鉢の喜びが、気持を、動かすだろうと思ったからである。しかし、子を孕ませないようにやった。子ができれば、それを後継に立てろと、孫権が口を挟んでくるのは眼に見えていた。
 気持をこちらにむけられたかもしれない、といまでは思う。自分が、闘ったからだけではなかった。張飛の妻の、董香の存在が大きかった。
 領内をかため、力をつけることに専念できる情況にはなっている。ただ、荊州南部は、戦略としては足がかりにすぎない。益州を奪る。それでようやく、曹操に対抗できる力を持てるのだ。
 しかし、益州攻略は、周喩もやろうとしていた。天下二分の形勢を周喩が作ろうとしていることは、すでに明確になった。その二分の中に、劉備は入っていない。加われるとしたら、孫権の一部将としてだけだ。周喩を益州に進ませたくないとは思ったが、孔明も靡統も、いい策は出せないでいた。
 周喩の準備が、着々と整っていることはわかった。水陸両面から、一気に益州を攻略してしまうつもりだ。一度動いたら、短い問に攻略してしまいたい、と周喩は考えているのだろう。一年ほどで、長くても二年で。
 しかし、孔明は焦っているようではなかった。天下二分という形勢になってからも、活路があると考えているのか。
 とにかく、いま周喩は止められない。
 劉備は、できるかぎり焦りを表情に出さないようにしていた。関羽や張飛や趨雲ら部将たちにも、愚痴はこぼさなかった。
▲UP

■周喩が魯粛に夢を語る

<本文から>
  「魯粛殿。これほ、夢なのだ。私自身の夢だ。私が、この手で掴まないかぎり、なんの意味もない」
 「そう言われるであろう、とは思っていました。だから、私には挟む言葉もないのです。私は、自分に言い聞かせ続けてきました。これは、周喩殿の夢なのだと。乱世に生きる男が、男として抱いた夢なのだと。しかし、思いきれません。せめて、私を副将か参謀として、おそばに置いていただけませんか。周喩殿が建業へ来られるという知らせが入ってから、私はそれだけを考え続けてきました。できませんか、それは?」
 「魯粛殿には、殿のそばにいて貰わなければならん。軍事も民政も、ともにこなせる人物として、孫家には魯粛殿しかいないではないか」
 張昭は、戦ができない。部将たちは、戦しかできない。その両方を統轄して判断が下せるのほ、やはり魯粛しかいなかった。
 「お気持は、戴いておく、魯粛殿」
 「そう言われるだろう、と思っておりました。私には、なにをすることもできないだろうとも」
 「魯粛殿が、建業で殿のそばにいる。それだけで、私は安心できる」
 「まこと、失礼なことを申しました。私はただ、孫家から、いやこの国から、稀代の英雄とを失ってはならない、と思い続けただけです。拝見するかぎり、周喩殿は以前よりも肥られ、顔色も戻られたように見えます。私は、考え過ぎるのでしょう、多分」
 心の底でゆらめき続ける、どうにもならない切なさのようなものについて、周喩は魯粛にだけは語っておきたい、と束の間思った。しかし、言葉になどできはしない、という気もする。
 「乱世に生きる、男の夢ですか」
 魯粛の声は、他の水に吸いこまれるようだった。水面の月が、かすかに動いている。
 「こんな時代に生まれたことを、不幸だと嘆いたこともある。思うさまに生きられて、幸福だと感じたこともある。いまは、生ききってみるまで、わからないことだと思っている。生きるだけ、生きてみるしかないと」
 酒宴のさんざめきが伝わってくるが、庭はかえって静寂が深く感じられた。
 「生きている。私は、いまそう思える。しかし、生ききってはいない。だから、闘えるのだ。魯粛殿には、ずいぶんと助けられた。肛を割った議論もした。そんなことより、いい友を持った、と思う」
 「私も、私の場所で闘います」
 それでいい、と周喩は思った。魯粛には、魯粛の闘う場所がある。
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■周喩が死に運が向く曹操

<本文から>
  「孫権軍の周喩将軍が、死亡したようです」
 「なに?」
 五錮の者は多分掴んでいるだろうが、丞相府から私室に戻って、すぐに爰京の治療をはじめたので、報告する時がなかったのだろう。まず、曹操はそんなことを考えた。
 「益州攻略にむけて、進軍中の死か?」
 「はい。赤壁を通り、江陵へむかう途中の船上だったそうです」
 「いくつだ?」
 「三十六歳、と聞いております」
 皮肉な話だった。赤壁で大敗した自分が、銅雀台などを築き、祝福の言葉にまみれている。そして大勝した周喩が、病を得て死んだ。人の世とは、そういうものだ、と悟り澄まして言う気はなかった。
 周喩は、無念だっただろう。
 「揚州は、驚きで打ちのめされているようです。ただ、孫権に宛てた、周喩の遺言のようなものはあったようで、後任に魯粛が当てられるという話です」
 「わかった」
 「とりあえず、御報告いたします」
 「稀代の英傑も、死ぬ時はひとりか」
 「また、丞相には運が向いてきております」
 「皮肉か、萄或?」
 周喩が益州を奪っていれば、完全に天下は二分されていた。そういう時は、また帝が力を持つことになる。まずは、大義名分がどちらのものか、という争いからほじまるからだ。帝の意志がどちらにあるか、ということが大きな問題になる。
「私は、丞相が天下を統一されるべきだ、と思い続けております」
「そして、帝を戴いた政事をやればいい。そういうことであろう、苛或?」
 「帝の権威は、国のために必要なのです」
「そんなことは、私もわかっている。天下を統一した者が帝となるべきであろう」
「覇者は覇者です。帝は、それを超越した存在であるべきです」
 「もうよい。報告はわかった」
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■曹操が話相手の許?に周喩を語る

<本文から>
 喋る相手として、許?ほど適当な人間を、曹操は知らなかった。受け答えは、いつも短い。しかし、はっきりしたことを言う。一心に耳を傾けはするが、聞いたことはすべて、肛の中に収いこむ。
 「私は、あのころの気概を失ったのだな、虎痴。三万で、百万にむかおうとした気概を。
 周喩は、それを持っていた。周喩が生きていれば、いずれ私は乗り越えられたかもしれぬと思う」
 許?が、ようやく二杯目を注いだ。
 「赤壁では、敵の僥倖に敗れた。そう申す者が多い。ひと夜の、風の変化だったのだからな。私も、そう思いたい。しかし、あれは僥倖などではない。なぜなら、はじめから周喩は三万で私にぶつかってきたからだ。風も味方にする。だから、いつもなら風下になる、南岸を選びもした。江陵を出たところから、私は負けていたのだ」
 あれから、二年である。
 膠着の中で、周稔は益州攻略の道を作り出し、その力を蓄えた。情報を整理し、分析すればするほど、曹操は動けなくなった。手も足も出せない状態で、周喩が益州を攻略するのを、見ていなければならないはずだった。
 つまりほ、二年でそれだけ差が縮まってしまっているということだった。
 ただ、周徐にも計算できないことがあった。それが、病だ。病の情報は、曹操も手にしていた。病状が、かなり深刻であることも知っていた。しかし、周喩は軍を起こした。病は回復にむかったのだろう、と曹操は思った。
 周喩は、生き急いだのか。それとも、絶望の中で、出陣という道を選んだのか。
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■劉備と天下を賭けて雌雄を決するとする曹操

<本文から>
  怒りは、すぐに収まった。なにか裏がある。そう思えたのだ。つまり、劉璋の側から、誰かが寝返っている。もしかすると劉備と諸葛亮は、周喩が死ぬ前から謀略戦をはじめていたのではないのか。
 劉備が益州を攻めるには、まだ力が不足している。そう思ったのが、油断だった。馬超さえ潰せば、漢中を攻め、やがて益州全域も奪える、と安易に考えていた。
 周喩が死んで、どこかほっとしてしまったのではないか。曹操は、そう思った。幕僚たちからも、劉備の危険性については耳にしていない。
 そんなものだろう、と曹操は思った。
 劉備軍が流浪している時の方が、むしろ気になった。荊州の南で、六、七万の勢力として落ち着いてしまうと、かえってどうでもいい存在に思えたのだ。こちらと劉備の間を、周喩という存在が遮っていたこともある。
 覇業の最後の障害が、あの男になるかもしれない、と曹操は思った。だとすれば、因縁と言うしかない。
 黄巾討伐戦の時に、義勇兵だったあの男と出会ったのだ。わずかな兵を、巧みに使いこなしていた。あの時から、関羽と張飛という二人の将軍はいた。みんな、若かった。野心はただ野心で、実現する道がどれなのかさえ、見えてはいなかった。
 あのころが、懐かしいような気がする。
 いまより、ずっと潔く死ねただろう。死んで残すはどの、思いもなかった。劉備も、そうだったに違いない。
 劉備には、帝という心の支えがあった。自分は、それが甘いと思った。この男は必ず服従させてやる。そうも思った。しかし、帝という支えだけで、劉備はこの戦乱の世を生き抜き、いま剰州の南に加えて、益州まで手にしようとしている。
 殺せ、と幕僚たちは何度も勧めてきた。殺さなかったのは、いつか天下を賭けて雌雄を決する時が来る、という予感があったのかもしれない。
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■筍或の死に動揺する曹操

<本文から>
  なぜ、毒を仰いだのか。一度だけでも、自分と話し合うべきだとは思わなかったのか。
 恐るべき男だった。いつも、曹操の先を読んでいた。そういう男がそばにいるというだけで、曹操はいつも緊張していた。
 二千戸の食邑(扶持)を与えても、喜びもしなかった。そういうものとは無縁のところで、筍或は生き、闘っていた。
 一睡もせず、朝を迎えた。
 それでも曹操は、陣舎の居室から一歩も出なかった。筍或の屍体というのが、どうしても思い浮かばない。
 服従か死か。それとは違う思いで接していたのが、筍或ただひとりだった、という気もしてくる。
 従者が朝食を運んできたが、すぐに下げさせた。
 陣舎の外では、動きはじめた兵の気配がある。晴れた日のようだ。明るい光が、かえってなにもかもを白々しく感じさせる。
 曹操は、限を閉じた。
 筍或は、どういう思いで自らの命を断ったのか。怒りか、絶望か、諦念か、曹操に対する抗議か、それともまるで別の、支えきれないほどの人生のむなしさに襲われたのか。
 将兵を、多く死なせてきた。死については、心を動かさない。それはほとんど、習慣のようになっていた、と言ってもいい。筍或の死だけが、なぜか心に重く沈澱し、うごめき、このままでは遠い死者の群れに入ることほ決してない、という気がするほどだった。
 服従か、死か。自分はそうやって筍或に接し、筍或は最後に死の方を選んでしまった、と頭では考えても、気持になにか残っている。
 裏切られた。そんな思いと似ていることに、曹操はふと気づいた。敵に寝返ったというような小さなことでなく、もっと深いところで、筍或は自分を裏切った。復讐もできなければ、裏切られた傷を癒すこともできない。
 曹操は、頭を振った。自分はまだ生きるのだ。なんの理由もないが、そう思い続けた。
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