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<本文から>
そして、会議の日になった。
はじまっても、周喩の席は空いたままだった。孫権が座り、その前にむかい合うようにして、周喩と張昭の席がある。中央には人が通れるように道があり、二人以外の幕僚は適当に自分の席を占める。
魯粛は、空いた周喩の席の、すぐ脇に座っていた。張昭がまた講和を主張したら、反論しようという構えに見えた。
孫権の前の文机には、なにも置かれていない。硯や筆さえもなかった。
講和派の幕僚たちが、これまでの意見を声高にくり返しはじめた。諸葛亮に論破された者たちだが、会議でその負けを取り戻そうとでもするように、熱が入っていた。無論、諸葛亮はこの会議には出られない。
「いま、ハン口で曹操軍に備えて布陣している劉備殿から、諸葛亮という使者が来て、同盟を求めていることを、方々は御存知だと思うが」
魯粛がそう言いはじめると、講和派の幕僚たちの声が、さらに大きく熟を持ったものになった。ただ、張昭だけは、眼を閉じ、黙然としている。
苛立っても、表情に出さない習練は積んでいるが、不思議に孫権はこれまでの会議はいつも平静でいられた。
「周喩将軍、御着到です」
声があがった。
会議の場が、水を打ったように静まり返った。やはり来た、と孫権は思った。いつか、周喩は会議に来るはずだった。それが今日だということを、昨日からは疑ってさえいなかったのだ。
具足を付け、赤いサク(頭巾)を被った周喩が、静かに姿を現わした。父、孫堅が与えたというサクだろう、と孫権は思った。
周喩の後ろには、程普と凌統の二人の部将がついていた。こちらの方は、若の匂いを、すでに強すぎるほど放っている。
「会議の時ではありませんぞ、殿」
周喩の声は、静かで澄んでいて、しかし心を揺さぶるような響きがあった。
「私は、剣を執って、ここへ参りました。孫堅将軍は流れ矢に当たり、孫策殿は刺客の手にかかって果てられました。あのお二人の志を、そして揚州に独力で立ったというわれらの誇りを賭けて、闘おうではありませんか」
誇り。志。まさしく、そうだ。口にしたくても、できなかったもの。自分の心の底で、しっかりと自分を支えているもの。孫権は、雄叫びをあげたい思いに襲われた。
「誇りを捨てよ、と言う者は、まさかこの会議にはいまいな」
ゆっくりと、周喩が座を見回した。顔を伏せなかったのは、張昭だけである。
「孫堅将軍の、この赤い憤。そして孫策殿がはいていた、この剣。私には」
「待て、周喩」
孫権は立ちあがった。
「その先は、私が言おう」
孫権は、剣を抜き放った。
「会議の決定を伝える。われらは、これより曹操と開戟する。それが、唯一の私の道だ。降伏は、死ぬことである。命があってもなお、男は死するという時がある。誇りを、捨てた時だ」
孫権は、剣を振りあげ、渾身の力で振り降ろした。文机が、きれいに二つになった。
「私の決定を伝えた以上、これから先、降伏を唱える老は、この文机と同じになると思え。私は、わが手で、この乱世を平定する」
声があがり、やがてどよめきになった。
「ふるえる者は、去れ。立ち尽すものは、死ね。これより、戦だ。男が、誇りを賭ける時ぞ」
三人、四人と立ちあがった。
孫権は、剣を頭上に高々とかかげた。 |
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