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<本文から> いずれ、劉備は荊州を奪おうと思っている。口に出さなくても、関羽にはそれがわかっていた。張飛も超雲も、わかっているはずだ。
だから関羽は、劉備が訪ねた豪族たちと、できるだけ親しくなるようにつとめた。璧耳がまず訪問し、次に劉備が相手と会い、関羽がその関係を持続させる。
かなりの、忍耐が必要となる仕事だった。荊州軍を奈義が牛耳るのを苦々しく思いながらも、まったくのよそ者である劉備を、たやすく受け入れようとしない者も多かった。
その時の惨めさを、人に語る気はなかった。張飛も超雲も、それぞれのつらさに耐えているのだ。
劉備は、劉表が生きている間に、荊州を奪おうとはしないだろう。徐州の陶謙の時も、そうだった。徳の名で生き抜いた時もあるが、徳が劉備を縛ったこともあった。
要するに、いまは劉表が長生きしすぎている。いつ死のうと、息子二人の後継の争いは起きるだろうが、二年前なら、長男を劉備が後見するというかたちで、蔡瑁を課し、荊州もかためられたはずだ。 |
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