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          北方謙三-三国志(6)陣車の星

■劉備は荊州を奪うために忍耐を続ける

<本文から>
 いずれ、劉備は荊州を奪おうと思っている。口に出さなくても、関羽にはそれがわかっていた。張飛も超雲も、わかっているはずだ。
 だから関羽は、劉備が訪ねた豪族たちと、できるだけ親しくなるようにつとめた。璧耳がまず訪問し、次に劉備が相手と会い、関羽がその関係を持続させる。
 かなりの、忍耐が必要となる仕事だった。荊州軍を奈義が牛耳るのを苦々しく思いながらも、まったくのよそ者である劉備を、たやすく受け入れようとしない者も多かった。
 その時の惨めさを、人に語る気はなかった。張飛も超雲も、それぞれのつらさに耐えているのだ。
 劉備は、劉表が生きている間に、荊州を奪おうとはしないだろう。徐州の陶謙の時も、そうだった。徳の名で生き抜いた時もあるが、徳が劉備を縛ったこともあった。
 要するに、いまは劉表が長生きしすぎている。いつ死のうと、息子二人の後継の争いは起きるだろうが、二年前なら、長男を劉備が後見するというかたちで、蔡瑁を課し、荊州もかためられたはずだ。
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■孔明は土を耕して終わりたくないという怨念があった

<本文から>
 二十歳をすぎたころは、村人と変らない、たくましい鉢になった。土を耕すことも、負けなくなった。
 こうして、土と語り合って終るのか。
 二十七歳だった。すでに十年、土を耕し続けている。司馬徽のもとには、しばしば出かけていった。学問の好きな人間が、そこには集まっていた。時世についての議論も、盛んだった。
 議論をして、論破されたことはない。俊才と呼ばれる人間に会っても、この程度かと思うだけだった。そういう俊才が、仕官して出世するのを、横限で見ていた。
 人は、自分を闊達だと言う。学を好み、出世や名利に媚びないと言う。闊達ではなかった。土はそれをよく知っている。世に出たいという思いもあった。しかし、愚かな者の下にはいたくなかった。
 どこかで、心がねじ曲がった。それはよくわかっていた。時々は、怨念のような言葉を、土の中に埋めた。
 この土は、肥料だけで肥えたのではない。自分の思いを、十年にわたって呑みこみながら、肥えていったのだ。
 そういう自分の心を、人に窺かれたことはない。司馬徴は、どこかでそれに気づいているという気配がある。それだけだ。
 志は、あるのか。欲望ではなく、志と呼べるものがあるのか。それがあってなお、怨念の言葉を、上にむかって吐き出すことができるのか。あるのは、ただ詰めこみ続けた知識と、世に出られないという思いだけではないのか。
 曹操や、孫権や、劉表のもとに出仕し、誰よりも仕事をこなせる自信はあった。しかし、この怨念が消えることはないだろう。
 求めているものは、間違いなくある。あるということを痛いほど感じるだけで、それがなにかは見えてこない。このまま、怨念で土を肥やしながら、一生を終えるのか。
 志を、熱っぽく語っていった男がいた。
 劉備玄徳。徳の将軍として、名は知られている。しかし、力はない。語った志は、自分よりも二十も年長のものとは思えない、青臭い内容だった。心の中で、喋った。噴いながら、心の底がかすかに動いた。四十七になって、これほどのことを語れる男が、乱世で生き延びていたのか。
 あの日から、しばしば劉備のことを思い出すようになった。あの男の言葉の中に、怨念などはなかった。自らの非力に対する悲しみに似た感情。あったのは、それだけだったような気がする。
 帝を、秩序の中心とした国家。
 国家というものを考えれば、劉備の考えは間違っていない。しかし、人間の愚かさが、それを実現させないだろうことも、自分にはよくわかる。劉備が非力で、曹操や孫権が強大だというのが、その証左なのだ。
 劉備はなぜ、あそこまで愚直に、自分の志を信じることができるのか。
 人間は、欲の動物ではないか。志などというものは、欲の裏返しにすぎない。欲に支配された自分を、どこかで誤魔化そうとして、人は志を語る。それも、若いころだけだ。
 欲を捨てようと思ったら、それこそ司馬徽のように隠棲し、言葉を弄んで愉しむという生き方しかできない。司馬徴は、長老の家に生まれている。だからこそできたことだ、と孔明は思っていた。
 自分のように惨めさを舐め尽してきた老が、欲望を捨て去ることができるわけがない。しかし、欲望に支配されて生きたくもない。自分の怨念は、そこからも出てくるのだ、と孔明は思っていた。
 土は、正直である。偽りはない。偽りで、作物が育ったりはしないのだ。村人が感心するはどの作物は、それこそ自分の怨念が育てたものに違いなかった。
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■天下三分の計

<本文から>
 「奪れるのだろうか、刑州を?」
 「曹操は、必ず荊州から攻めます。水軍を指揮した経験がないからです。水軍が精強な揚州は、孤立させてからと考えるはずです」
 「いまの荊州は、曹操に勝てぬ」
 「いいのです、負けても。平穏だった荊州が、大きく乱れます。その乱れに乗じましょう。あくまで荊州は足がかりで、益州が本拠だとお考えください。そうすれば、一時的に曹操に制圧されても、道は見えます」
 「なるはどな」
 「目先の勝ちを、拾おうとしないでください。ほっきりと知っておかなければならないのは、天下三分を画する以外に、殿に活路はないということです」
 劉備が領いた。
 不思議な男だ、と孔明は思った。闘う、と言わされたのだ。いや、自ら望んで、そう言ってしまったのだ。
 天下を取れる器かもしれない。孔明はそう思った。戦の巧拙ではない。最後は器なのだ。劉備は、それだけのものを秘めている、とい孔明には感じられた。
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■周喩の天下二分の計

<本文から>
 孫権は、二十六歳になった。これは、兄の孫策が死んだ年齢である。孫権には、なにか思うところがあるのかもしれない。
「周喩殿が建業におられる時は、間違ってもそんなことを言い出す者はおりません。自分が甘く見られているという思いを、殿はお持ちなのかもしれませんな」
「そういう時こそ、魯粛殿の出番であろう。張昭殿は文官なのだから、兵役がどうのという苦情には、対処しにくいかもしれん」
 「私が言うより先に、殿が言われました」
 揚州は、豪族がまだ強い。孫権の魔下に加えたり、水軍に加えたりして、兵をできるだけ豪族から切り離すようにしているが、それでも古くからの伝統には根強いものがあった。
 「訊こうと思って、周喩殿になかなか訊けなかったことがひとつあります」
 「魯粛殿、そういう遠慮は、お互いになしにしようではないか」
 「曹操の南征に、揚州は耐えられますか?」
 勝てるか、とは魯粛は言わなかった。
 「水上では、耐えられる。水を制せずして、揚州を制するのは不可能。したがって、耐えきれるのだ、魯粛殿。私はそれだけの水軍を、作りあげてきた」
 「すると、曹操は自領に退きますな。こちらが耐えきるというのは、そういうことです。そのあと、周喩殿はどのように曹操との対立を展開されるおつもりですか?」
 「荊州を奪る。それがすぐには無理でも、江陵を中心とした長江沿いは必ず押さえる」
 「そして?」
 さすがに、魯粛だった。曹操の南征以後の展開など、ほかに考えている老はいないだろう。
 「それから先のことは、その時の情勢次第だろう。語っても意味がないことだ。魯粛殿がほんとうに訊きたいのは、戦略があるのか、ということではないのか?」
 「まさしく」
 「益州を、私が奪る。長江から、水軍で攻め奪るということになるだろう。そして、揚州と益州から、剤州を落とす。たとえ曹操が荊州に入っていたとしても、両方から攻めれば追い出せる」
 「すると」
 「天下二分。南北の対峠ということになる。その対時の帰結は、多分に天運にもよるであろう。曹操も甘くはない。しかし、天下二分によって、いずれ天下を窺う道は開けてくると思う」
 「なるはど。いつから、そのような」
「孫策が、死んだ時。孫策に従えば、天下は取れると私は思っていた。孫策が思い描いていた戦略は、別のものだっただろう。私は、私の戦略を思い描くしかなくなった」
 「あなたは、まさに一代の英傑だ、周喩殿」
「戦略は、どこかで狂う。狂えば役に立たぬ戦略は、必要ない。状況を見ながら自在に変化させる。まず、天下二分を目指す。それが私の戦略だと思っていてくれればいい」
「わかりました。私など及びもつかないところまで、周喩殿は考えておいでです。これで、私は自分の役割りがなんであるか、はっきり自覚することができました。今後は、いっそう周喩殿の補佐に力を注ぎます」
 人材は、集まっている。ひとりですべてをなさなければならない、などと考える必要はないのだ。魯粛がまた、人を見つけ出してもくれるだろう。
 「このことは、まだ殿に申しあげてはいない。いま殿にとっては、黄祖とどう闘うかが重大事なのだ。機が熟した時に、私はこれを殿に語ろうと思っている」
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■曹操は徐庶に劉備との違いを聞く

<本文から>
 「しかし、なぜだ?」
 「なにがでございますか?」
 「諸葛亮は、なぜ劉備などに仕官した。関羽は、なぜあれほど忠誠を尽す。おまえも、劉備に仕官したかったのではないのか?」
 「丞相は、友をお持ちですか?」
 「いらぬ。人には、服従する者と逆らう者。この二種顕しかいないと思っている」
 「劉備殿は、数えきれないはどの友に恵まれています。関羽も張飛も趙雲も、もしかすると友という思いを抱いているのかもしれません。どちらがいいというのではなく、丞相とは人間の質の違いがあるのでしょう」
 「関羽になら、一州を与えてもいいと思った」
 「関羽殿は、もっと違うものを、生きている喜びとでもいうようなものを、欲しがったのでしょう」
 「そんなものは、人から与えられるものではない」
 「人が奪えるものでもありません。丞相は、それを関羽殿から奪おうとされたのです」
 「徐庶、おまえもか?」
 「私は、ありふれた平凡な日々の中で、静かな喜びを感じています」
 「そんなものなのか、男の一生は」
 「さあ」
 「私は、おまえが才を見せれば、その分だけなにか与えられる。大才があれば、大きなものを手にできる」
 郭嘉を失った。この男が代りになれば、と思いはじめているところはある。郭嘉は、曹操に対してだけは、従順だった。この男もそうであれば、筍或の代りもさせられる。しかし、曹操に対してだけ、従順ではないのだ。
 「もうよい。帰れ、徐庶」
 「大変失礼を申しあげました」
 「気にしてはおらん。最後に、ひとつだけ訊いておこう。おまえの知っている諸葛亮とは、どういう男だった?」
 「土を耕し、梁父吟をうたい、天と地にとけこんだようにして生きている男でありました。野心も持っていたと思いますが、それがなまなましく感じられることはありませんでした」
 「私がぎょうに呼ばなかったら、おまえは劉備に仕官したか?」
 「恐らくは」
 曹操は、限を閉じた。
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■荊州で敗れたが戦略通りに曹操を導く孔明

<本文から>
 小さな幕舎がひとつあり、それは劉備の二人の夫人が使った。まだ、それほど寒い季節ではなかった。それに、かなりの物資を、関羽が船で運んできているはずだった。明日には、関羽と落ち合える。
 千二百の騎馬隊が、千数十に減った。敵が一万もいたことを考えると、善戦だったと言っていいだろう。ただ、負傷者は多かった。漢水まで、その気になれば駈け通せたが、傷の手当ての方が大事だと、孔明は判断したのだ。
 何カ所かで、火が燃やされた。
 張飛が、どこからか牛を二頭連れてきて、見事な太刀捌きで解体した。方々で、肉が焼かれはじめる。酒はないが、張飛は上機嫌に見ぇた。
 孔明は、戦のことを考えていた。
 間違ってはいない。うまい具合に、追ってきた一万を、江陵へむかわせた。そこには、武器や兵糧が膨大にあり、曹操に降伏する兵も二、三万人いる。なによりも、数千腹といわれる、荊州水軍の船があるのだ。
 曹操が、戦をやりたくなる条件は、すべて揃っていた。
 つまり、戦そのものは負けたが、戦略の闘いでは、緒戦の勝利と言っていい。
 揚州の孫権が、船まで得た曹操と、闘う意志を持っているかどうか、ということに戦略の核心は移ってきた。孫権は闘う、という前提で、孔明は戦略を組み立てている。降伏すれば、戦略は基本から崩れ、今日の戦も無駄になる。
 孫権は、闘うはずだ。
 しかし、どれぐらいの兵を出せるのか。五万か十万か。いずれにしても、関羽の一万余と、劉埼の一万四千は無傷なのだ。闘うなら、絶対に欲しい勢力で、降伏するなら、逆に近づかれたくない軍のはずだ。劉埼の軍が、夏口の近くまで移動しているが、孫権軍に攻められた、という知らせは入っていなかった。
 対等の連合。それでなければならない。そして、少なくとも曹操が荊州から撤退するだけの、はっきりした勝利も必要だった。
 劉環は降伏したので、曹操さえ追い出せば、剰州に主ほいない。全部が手に入るほど孫権も甘くはないだろうが、連合した相手なら半分はやってもいい。
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