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<本文から> なぜ、あんな策に候ってしまったのか。
袁紹は、病床でそればかり考えていた。
兵力はいくらか劣っていたが、互角の押し合いだった。その状態を続ければ、勝利の展望も開けたはずだ。なにより、兵糧で勝っていた。曹操は、兵力が増えた分だけ、兵糧は苦しくなったに違いない。
勝負を、急ぐ必要はなかった。時をかければかけるほど、こちらが優勢になっていったはずだ。それを、急いだ。官渡での負けを、できるだけ早く取り戻したい、と思ってしまったからだろう。
?は固めた。都さえ守り抜けば、冀州が侵されることはない。青州も幽州も井州も、それぞれ息子たちや甥に固めさせた。
自分はまだ、河北四州の主なのだ、と袁紹は思った。二度敗れたいまでも、曹操と互角に闘える力はあるはずだ。
しかし、なぜあんな策に依ってしまったのか。
むかってくる敵は、四万ほどだった。その背後に、曹操が本陣を敷いていたが、十数万の兵は、どこかに消えていたのだ。兵が少なすぎると、なぜ思わなかったのか。
背筋が寒くなるような、伏兵の置き方だった。挟撃というかたちで攻められ、ひとつを抜けたと思ったらまたくり返され、それが実に五度も続いたのだ。
首を取られていても、まったく不思議はなかった。旗本の五百騎が、そばにいた。それを拡がらせず、小さくまとめた審配の指揮もよかった。それでなんとか?に戻ることができたのだが、数十騎に減っていた。
負けたのは、はかの誰でもなく自分だった。しかも、二度までもだ。
負けたが、死んではいない。毎日のように、袁紹は自分にそう言い聞かせ続けた。河北四州も、まだ手の中にある。
■徐庶は各地の豪族の食客として旅をした
さすがに、天下に見るべき男の数は多かった。
旅をはじめて、八年になる。徐庶は、剤州まで流れてきていた。各地の豪族の食客として、軍学を講じたり、剣を教えたりしながら、河北から中原、揚州、荊州と回ってきた。特に、仕官するべき相手を捜していたわけではない。主を持つということは、性に合っていなかった。心のままに流浪することが、ただ愉しかった。だから、仕官を勧められると、その地を去った。
二十九歳だった。もう、無頼という年齢ではない。二十歳を超えたころは、よく喧嘩をし、何度か人を斬った。役人に追われたが、それもこの乱世でうやむやになった。
静かな生活をしようという気はなかった。楽をして生きられるなら、それが一番望ましい。そういう思いと同時に、すぐれた男に心惹かれるというところもある。
河北では、袁紹をしっかりと見た。都の商人の食客となり、半年ばかりを過したのだ。その商人は、豪家の奥向きの着物などを扱っていたので、連れられてしばしば館にも出入りした。
袁紹は、側室の着物を自分で選んだり、息子の着物を女たちが選ぶのを見たりするのが
好きなようだった。だから、五度ばかりは会っている。
袁術よりはずっとましだが、天下は取れないだろう、と思った。懐の深さのようなものが感じられないのだ。
これは駄目だろうと思ったのが、幽州の公孫墳との戦だった。徐々に締めあげ、衣を剥ぐように裸にし、大軍で押し潰した。つまり、誰にでもできる戦だったのだ。
曹操との戦の帰趨は、徐庶には見えていた。曹操の戦には兵として加わったことがあり、勝つための工夫をたえずこらしている武将だろう、と思っていた。官渡で両雄がぶつかった時、袁紹はまず緒戦で惑わされた。正面から、力押しに押す。同時に、許都を衝くもう一面の作戦を立てる。兵力ではほるかにまさっていた袁紹には、充分にそれができたはずだ。それなのに、徐々に大軍で締めあげ、それと並行して姑息な策をいくつも弄したという気配があった。その姑息な策が、大軍の動きを鈍らせたに違いないのだ。
曹操は、常識の通じない男だろう。勝つためには、なんでもやる。考え抜く男のようだが、一度動きはじめると、逡巡を知らない。それは見事としか言いようがなく、だから常人が与える安心感に欠けるのだ。
揚州の孫策が、どこか似ていた。孫策を殺したのは、多分曹操だろう、と徐庶は思っていた。自分と似ているというだけで、曹操は異常な警戒感を持っただろう。
揚州には、いま周喩という男がいる。遠くから見たことがあるが、はっとするような美男だった。おそらくこの国で最も精強と思える水軍は、ほとんど周喩がひとりで作りあげたようなものだ。穏やかな人格だというが、どこかに激しさもあり、曹操にはない人を安心させるような魅力を持った男のようだった。
宛県から新野を通り、襄陽の城郭に入った。
友人がひとりいる。しばらくは、そこで厄介になればいい、と徐庶は思っていた。
伊籍という。なかなかの男だが、昔、小さな恩を受けたというだけの理由で、劉表などというつまらぬ男の幕客になっていた。
伊籍の館は、粗末なものだった。使用人も、二人か三人しかいないようだ。それでも、伊籍は再会を喜び、歓迎してくれた。
「君には、袁紹が負けるということが、わかっていたというのか?」
毎夜のように、伊籍は徐庶と語りたがった。襄陽には、伊籍が語り合うほどの人間はいないらしい。 |
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