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<本文から> 欲がなさすぎる。そう思うことがしばしばあったが、それが同時に、張飛にはたまらなく魅力的でもあるのだった。子供のころから、限の前にあるものを奪い合う生活をしてきた。欲しいか欲しくないかより、奪えるか奪えないかだった。大抵のものは、奪った。それでも、気づくとなにひとつ持ってはいなかった。欲しいと思うものを、よく見きわめて手に入れ、それをほんとうに自分のものにするために、さらに努力をする。それを教えられたのは、関羽と出会ってからだった。十六歳の時で、ほんのひと掴みの岩塩を盗もうとして見つかり、両手を切り落とされそうになった友人を助けに、役所に暴れこんだ。ひとりで数十人を相手に暴れたが、息があがってもう駄目だと思った時、関羽が助けに入ってきたのだ。そのまま二人で役所から逃げ、一年間の旅をした。旅をしながら、さまざまなことを教えられた。
そして、劉備に出会った。十七歳だった。
賊に奪われた馬群を取り返し、そのまま信都まで運ぶ、という仕事をしていた。張飛も関羽も、それに加わらないかと勧められたのだ。加わったのは、面白半分だった。もしかすると、そのまま賊徒になっていきそうな集団かもしれないと思い、その時は抜けようと関羽と話し合った。
取り戻し方は、鮮やかだった。そして依頼主に頼まれた通り、賊を蹴散ちしながら馬群を信都まで運んだのだ。
信義を、しっかりと持っている男だ、と張飛は思った。賊をどうやって追い払うかという、戦の駈け引きにも長けていた。
それだけなら、驚きはしなかった。
はじめての、戦らしい戦だったという。ふだんは、軟県の郊外の村で延を織り、それを売って生業を立てているのだという。それがほんとうのことだと、軟県に戻ってみるまで信じられなかった。そのくせ、学問は修めていた。血筋は、中山靖王の末裔で、漢王室に連らなるという。
そういう驚きの連続よりも、劉備といるとなぜか自分が安心していることに気づいて、張飛は戸惑ったものだった。不思議に、自分が出せた。出した自分を見て劉備に叱られると、それは改めようと思った。
安心ができるということは、いまも昔も変らない。自分がどんなふうに死んでも、劉備ならいつも、卑怯ではなかったということだけはわかってくれるはずだ、と張飛は思っていた。
劉備が、なぜ自分たちを魅きつけるのか、関羽と語り合ったことがある。余人には持ち得ない、志があるからだ、と関羽は言った。志については、張飛はよくわからなかった。自分が、志を抱くような人間ではない、ということだけがよくわかる。志を持った人間に従うのも、立派な志だと関羽はよく言う。そんなものだろう、と張飛は思っていた。 |
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