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          北方謙三−三国志(2)参旗の星

■呂布は瑠の恐怖を取り除くため董卓を斬る

<本文から>
 営舎まで、ひと駈けだった。麾下の兵に、出動準備を命じた。
 王允のために、董卓を斬ろうと思ったわけではなかった。瑠の恐怖を、取り除いてやりたかっただけだ。
 出動準備は、すぐに整った。
 黒ずくめの軍勢である。旗を立てていなくても、呂布の軍勢だとは誰にもわかる。長安の民は、見ただけで道の端に避ける。
 丞相府から宮中への道筋に、呂布は五百の麾下を配置した。
 しばらく待った。方天戟は持っていなかった。黒い鎧に、果報の剣を倣いているだけである。背後に、部下を二人立たせた。
 董卓の辛が見えてきた。呂布が立ち塞がると、車が止まった。丞相府から宮中まででも、百名はどの警固の兵がついている。
 「これからは、この呂布奉先が警固つかまつります」
 「おお、呂布か。なにかあったのか?」
 車から、董卓が声をかけてきた。
「なにも。長安は平穏でございます。私はこのところ、妻の病で出仕を休んでおりましたが、ようやく快癒にむかい、まずは董大師の警固からと思いまして」
「それはいい。呂布将軍自らの警固とは、このところなかったことであるな」
 董卓は上機嫌だった。
 警固の兵をとどめ、呂布は文官だけがついた車の前に立ち、門を入った。
 「車を停めろ」
 呂布は声をあげた。
 「何事だ。すでに宮中だぞ」
 董卓の声。濁った、低い声だ。
 「宮中なればこそだ。逆臣董卓を討て、との詔が出た」
 「なんと申した、呂布?」
 「逆臣董卓を討つと。早く車を降りてこい」
 二十名ほどの文官は、ひとかたまりになってふるえていた。
 董卓が、車から出てきた。さすがに、かつては猛将と言われた男である。剣の柄に手をかけ、すさまじい形相で呂布を睨みつけている。
 「おまえとは、父と子ではなかったか、呂布」
 丁原が言ったことと同じだった。呂布は、黙って剣を抜いた。董卓も剣を抜く。すでに喘いでいた。
 陽の光が降り注いでいる。二本の剣が放つ照り返しが、宙でぶつかり合った。きれいな“光だ”と呂布は思った。董卓の額の汗も、輝きはじめている。
 「父が斬れるのか、呂布」
 董卓の、濁った声。斬れる。言う代りに、呂布はにやりと笑っていた。これで、瑠を恐怖からも解放してやれる。
 二歩、前へ出た。董卓が、よろめくように退がった。
 「相手をするのは、俺だけだ。多勢で取り囲んで討ち果そうというのではない。俺を斬れば、助かるのだぞ、董卓」
「この裏切り老が。忘恩の犬が」
 董卓が突きかかってきた。董卓はいつも、上衣の下に具足をつけている。動きはひどく鈍かった。呂布は、董卓ののどに剣を突きつけた。董卓の鉢が静止した。踏みこむ。同時に、剣を横に払った。
 董卓の首が飛んだ。
 静まり返っていた。陽の光が、鮮やかに血の色を照らし出す。
 「勅命により、逆臣董卓を、呂布奉先が討ち果した」
 それだけ言い、呂布は門外に出た。呂布に斬りかかってくる老は、誰もいなかった。
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■黄巾軍を降伏させた曹操

<本文から>
 曹操は、柵の一カ所を開けさせ、三十名はどの護衛と柵の外に出た。明らかに、降伏の旗と見えたからだ。
 五人の後ろから、輿のようなものが担ぎ出されてきた。横たわった人が載せられている。まだ遠く、人の顔は定かではなかった。
 しかし、輿で横たわっているのは、筍或だろう。死んだか、と曹操は思った。岩山から降りてくる一行は、葬列のようにさえ見えた。輿の後ろに、さらに二十名ほどが続いた。
 典韋が、曹操の前に馬を出した。罠かもしれず、それなら、楯になろうと考えたのだろう。側に置く者としで、曹操は典韋を気に入りはじめていた。無駄な口は、いっさい利かない。
 輿の一行が、岩山を降りてきた。
 みんな痩せ、限だけが飛び出したように大きく、異様な光を帯びている。老人もいた。
 一行は立ち止まると、輿を降ろした。筍或を抱えあげる。死んではいない。曹操はそう思った。両脇から支えられて、苛或が立ちあがった。やほり頻がこけ、限が飛び出している。鬢のところが、白くなっているのを見て、曹操は胸を衝かれた。
「ここにいる三十名は」
 筍或は、力をふり搾って声をあげているようだった。
 「青州黄巾軍の頭をつとめる者たちです。降伏の話し合いに伴いました」
 「胡床(折りたたみ椅子)を三つ運べ」
 曹操は言った。『曹』の旗。旗手も後ろに立たせた。胡床が運ばれてくる。
 「苛或を、まずかけさせてやれ」
 筍或が座り、曹操も胡床に就いた。
 「張毅殿、胡床をとられよ」
 苛或が言い、前へ出できたのは、自尊の老人だった。
 「この者は、教祖ではございません。すでに信者のみが中黄太乙(太平道の神)を心の中に仰いで、生きているのです。この者も、背後に控える着たちも、信徒をまとめている者たちだとお考えください」
 「わかった」
 曹操は、老人と限を合わせていた。死ぬことを、こわがっている限ではなかった。
 「中黄太乙に対する信仰を、許されるのかどうか、この者たちにお伝えください」
 「人はみな、平穏に生きたい。子を育て、畠を耕やし、実りに感謝したい。その心は、私にもわかる。太平道が徒党を組んで賊徒にならず、中黄太乙が心の拠りどころであるかぎり、私ほそれを禁じはしない。太平道にかぎらず、中黄太乙が心の拠りどころである信仰は、すべて同じだ」
 老人は、ずっと曹操を見つめている。
 「この者たちは、戦の責めを負って、首を差し出すと申しております」
 「誰も罰せぬ。黄巾軍の戦は、私欲によるものだと私は思っておらぬ。もし講和が成るのならば、罰することになんの意味がある。誰にも罪はない。強いて言えば、この国の政事こそが罪を負うべきであろう」
 老人の表情は動かなかった。ほとんど瞬すらもしていないように見える。
 「青州から溢れ出してきた者たちは、青州に帰してもよろしいでしょうか?」
 「帰農せよ。日々の営みに戻れ。田畠は荒れ、二、三年は苦しいであろうが、それをしのぐのも人の生だ。私は、青州の政事を司ってはおらぬ。東郡の太守にすぎぬ。したがって、青州に対してなんの約束もしてやれぬ。もし私が青州の政事を司るようになった時は、民が平穏に暮せるために力を注ごう。その民は、すべての民だ。太平道の信徒であろうとなかろうと、民は民だ。私が言えるのは、そこまででしかない」
 「五万の兵を、曹操軍に差し出せると申しております。しかし、五万を分散させないでいただきたい。この者たちの希望は、それでございます」
 三日州兵として、独立の軍勢を組織しよう。軍律は、変らず。逃亡は死。軍令違反も死。そして、『曹』の旗を掲げよ」
 老人が、かすかに領いたように見えた。曹操は、老人の背後にいる者たちを見回した。みんな、食い入るように曹操に限を注いでいる。
「一年に一万ずつ、その青州兵に加えていきます。降伏の条件は、それでよろしいでしょうか?」
「降伏ではなく、講和である。私は、そう受け取る。わが軍に加われば、戦をしなければならん。死ぬことも多い。しかし、十年つとめて生き残った者は、望めば帰郷を許そう。十年後に、私は十五万の青州兵を擁していることになる。それ以上は増やさぬ」
 はっきりとわかるように、老人が領いた。それには、どこか諦めと哀しみが準えられているように思えた。若い男を、兵として徴発される。それはどこにでもあることだ。
「私の条件に、なにか不服があるか?」
 「ありません」
 老人の声は低く、しかし底に強い意志のようなものを感じさせた。
「寛大な条件で、お許しをいただいたのかもしれません。われらとしては、一日も早く曹操様が青州の地を支配されることを望みます。信仰がなにか、理解していただけるお方にはじめて会ったという気がします」
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■あえて徐州を呂布に取らせる劉備

<本文から>
 それは、劉備が考えていることのひとつだった。しかし、捨てると言って、たやすく弊履のように捨てられるものでもなかった。これまで、領内には徳の将軍という顔を見せ続けた。強敵が現われたち逃げる。これでは、徳の意味もなくなるのだ。十数年かけて築いてきた、唯一の財産ともいえる風評が消える。その風評で集まっていた人も失う。
 「あの欲の強い陶謙様も、最後はあっさりと捨てられました。殿に引き受けていただくのが、息子たちと、息子たちに伝えた私財を守るのに一番いい、と判断されたからです。たとえ曹操か蓑術に攻められたとしても、闘うのは殿で、殺されるのも殿。死の間際には、さすがに狂滑な判断をされたものだと、私は感心いたしました」
 「わかった、糜竺。実は、私もそれを考えないではなかった。しかし、やり方が見つからぬのだ。私は死の間際にいるわけではないし、守りたい財産があるわけでもない」
 「殿は、強い運をお持ちだろうと思います」
 「そうとも思えぬがな」
 果敢に闘い、破れる。何度もそれをくり返してのちしか、徐州を捨てるわけにはいかなくなっている。うまく闘ったとしても、かなりの犠牲は強いられるはずだ。だから、徐州を捨てるという道ほ、なかなか選択できなかった。
 「この際、奪われてみてはいかがです?」
 「呂布か」
 蓑術や曹操が徐州を取るより、呂布がいてくれた方が、劉備にとってはずっといい。どちらが大きくなっても、追いつくのが容易ではない勢力ができるということだ。呂布がいれば、曹操と袁術の間に楔を打ちこんだかたちになる。特に、曹操にとっては、頭の痛いことだろう。
 「しかし、呂布が動かせるかな」
「呂布ひとりでは、動きますまい。領地や権力などというものには、惜淡とした男です。しかし、担ぎ出されることを、いといもしません」
 「陳官か」
「私は、?州の坂乱について、調べました。陳官とも、何度か語りました。野心を捨てきれない男です。いや、野心に振り回されている、と申してもよいでしょう。呂布のような戦の天才を担いだ。これは陳官の限のよさですが、同時に運の悪さでもあるような気がいたします。あれだけの軍人を担いでいれば、またぞろ同じ気を起こすでありましょうし」
 「そういうことか」
「殿が、先に袁術を攻められる。これには別の大きな意味が出てくることになります。とにかく、下?にすぐ戻るというわけにはいかないのですから」
 出陣中に、流浪を助けて小柿に置き、なにくれとなく面倒をみてやっていた呂布に、徐州を奪われる。呂布と陳官には、曹操から?州を奪いかけた、という前歴もある。
 自分には同情は集まっても、謗りを受けることはまずないだろう。
 奪ったあとの徐州は、呂布ではなく陳官が統治するのだろうが、それがうまくいくとも思えない。謀反をなす者は、いつも急ぎすぎているのだ、と劉備は思っていた。
 「さてと、私の部将たちが、このやり方に従ってくれるかどうかだ。みんな、謀略などには無縁な心を持っている」
「殿が決断してくだされば、説得は私がいたします。それは、お任せいただいて結構ですから」
 劉備は眼を閉じた。
 これが、一番傷の少ない方法だと思えた。徐州を陶謙から受け継いだ時、将来どう扱えばいいか苦慮してもいたが、それも同時に解決することになる。
「それにしても、おまえが代々商人であったとはな、糜竺。その商人が、私の前で尊王の志を叫んで涙を流したのか」
 「商人である前に、この国の人でありますよ、私は」
 糜竺の膝が、また小刻みに動きはじめていた。
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