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<本文から> 「殿は、対蜀戦は、どうあるべきだとお考えなのですか?」
「周到に待つことだな、尹貞」
「周到に、待つのですか。それが、私もよろしいと思います」
蜀は、必ず攻めこんでくる。それを待つ。着実に打ち払うためだけに、すべての力を注ぐ。やがて、蜀の国力は疲弊してくるはずだ。もし攻めるなら、その時に国をあげて攻めればいい。
いままでとは違うものが、司馬懿には見えはじめていた。
曹操、曹丕のころと、魏という国は少しずつまた変りはじめているのだ。乱世を生き抜いた曹操はもとより、曹丕も、国というものが、戦を前提として成立している、と考えていたところがあった。民政に力を注いだ曹丕も、やほり戦のための国力という気持は持っていたのだ。
しかし、曹叡にはそれがない。民政と同じように、戦があり、外交がある。面倒な時は放っておけば、誰かが代りにやるという考えが強いのだ。それは、次第に顕著な傾向になりつつある。
つまり現実には軍が力をもってくる、ということだった。そして軍の頂点は、曹叡でなく曹真なのである。場合によっては、魏最大の権力をもっているということに、曹叡は気づいていない。
軍の編成がはじまった。長安と荊州の軍が主力である。洛陽郊外に展開する遊軍もそれに加わるが、かつてのように遊軍に大きな余裕はなくなっていた。少しずつ、戦線に張りつけられることが多くなったのだ。曹丕が死んでしばらくしてから、遊軍は二十万を切るようになった。代りに、荊州、雍州の駐屯軍と、寿春を中心に、呉に対するために展開する軍が増えている。
曹丕には、曹操の志を継ごうという意志があった。曹叡は、生まれながらに魏の帝なのである。もの心がついた時から、魂という国があったと言っていい。 |
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