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          北方謙三−三国志(12)霹靂の星

■漢室再興の志を貫く孔明

<本文から>
  この一年、乱世は束の間の平穏の中にあった。それは、さらに大きな動乱の予兆を学んだ静けさなのだった。魏、呉、蜀と、国土は三つに分れたままだ。その中で蜀が生き残れるれ、ということなど孔明は考えていなかった。魏と呉を併呑し、国土をひとつに統一する。そして、漢王室の帝を立てる。それが、劉備とともに抱いた志だった。
 蜀はまだ、三国の中では最小、最弱と言うしかない。
 しかし、道は残されている。国土が二分ではなく、三分であるからだ。最強の魏も、呉と蜀の二国を相手にすれば、決して安泰というわけではない。
 昨年の秋から、呉との同盟について、秘かな交渉をはじめていた。呉と同盟せよというのは、劉備の遺言でもあった。死を前にして、劉備は透徹した限を取り戻し、蜀のとるべき道をしっかりと見定めたのだ。
 同盟の下交渉は、部芝という文官が当たっている。呉側の担当官は、孔明の兄でもある諸葛謹で、部芝は孔明が驚くほどのしたたかさを発揮し、ついに呉の正使が成都を訪問するというところまで話を進展させていた。死んだ人間も多いが、各方面で育ってきている者もまたいるのだ。
 軍は充実を取り戻しつつあるが、将軍だけは別だった。趨雲以外は、みんなまだ小粒なのだ。実戦を重ねていけば、大きく育つというものでもなかった。無理なことを望んでいる、という気持が孔明の底にほあった。なにしろ、較べている将軍が、関羽、張飛、馬超という、どのひとりをとってもこの乱世で吃立していた英傑なのだ。
 超が残っていることが、救いだった。若い将軍たちは、英傑の大きさにまだ接することはできる。
 孔明は、丞相府の奥にある居室に、ひとりで寵ることが多くなった。実務は、ある程度文官たちに任せても、心配はなくなったからである。
 ひとりで考えるのは、蜀がいつ北進できるのか、ということばかりだった。そのために、どれほどの条件を整えなければならないのか。天険に恵まれた蜀を守ることだけなら、たやすいことである。民政を充実させ、無理のない規模の精強な軍を擁していれば、魏や呉が攻めこんできたとしても、間違いなく打ち払える。
 しかしそれでは、蜀漢として国を建てた意味がなくなるのだ。漢室再興の志。国家のありようとはどんなものか、という考えに基づいた志だった。それがあればこそ、戦をして、兵を死なせ、民を苦しめることも許される。
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■孟獲を七度も生け捕る孔明

<本文から>
 孟獲は、膝に手を置き、うつむいていた。
 南中の兵に、それほど大きな損害はないはずだった。密林の遭遇戦や夜襲などで効果的な武器になった連琴は、負傷はさせてもそれほど殺していないだろう。
 「私は、負けたのです。諸葛亮殿。しかも、一度ではない。完膚なきまでにです」
 「三度倒しても立ちあがってきたら、私はおまえを認めるつもりでいた。七度も倒さなければならなかったのは、はるかに私の予想を超えていた」
 「七度」
  孟獲が、呟くように言った。ノ
 「首を刎ねる気ならば、はじめから刎ねている。戦の勝敗とは、そういうものだ。私とおまえは、別の闘いをした。それは、お互いの持っているものを、測り合うような闘いだった。おまえはひたすら戦をしているつもりだっただろうが、それでも私を測り続けていたのだ。意識しようとしまいと、どこかでそうしていたはずだ。私は、おまえが南中を統治できるかどうか、測り続けていた」
 「私は、自分が甘い男だと思います。一度負けても、心の底のどこかで、ほんとうは勝てたはずだと考えていた。二度目も、三度目も、七度にわたるまで」
 「なぜ、そう思えたのか、考えよ、孟獲。南中の兵が、おまえを見限らなかったからではないのか。それは、勝っている私が、驚くほどであった」
 「七度、死んだのです、私は」
 「だから、私には、おまえに七度、死を禁じる権利がある。あとは、おまえの心次第だが、南中の民にとって、成都から軍と役人が来て統治されることが幸せなのか、おまえが限を配る方が幸せなのか、よく考えよ。私は、ひと月ほど南中に滞留する。治水をなせば、畠を拡げられる。山をもっと生かす。そういうものが、見えてきた。その指示だけは、していこうと思う。ひと月の間、考えていてもよいぞ」
 それだけ言い、孔明は腰をあげた。
 孟獲は、まだうつむいている。
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■超雲が憶病な孔明は天才と言う

<本文から>
 「臆病であることが、それほど悪くないという言い方に野えますが」
 「臆病は、武将の美徳と言ってもいい」
 「ほう」
 「数少ない、天才を除いてだが。たとえば、曹操、そして関羽殿、張飛。わが殿は、臆病なところをお持ちであった。呉の周喩にも、若い陸遜にも、そういうところはある」
 「臆病だと、どうなるのです?」
 「臆病でない者の、何倍も考える」
 「考え抜いて行き着くところに、天才は直観で到達するのですな」
 「孔明殿も、天才だな」
 「まさか。これはどの失敗をくり返している私が」
 「確かにな。しかし、失敗はいつも一点なのだ。関羽殿の時は、孫権という男を読み違えた。殿の荊州攻めの時は、死んだ張飛の代りに、そのまま陳礼を使った。そして今度は、大戦の経験のない者に、二十万の大軍とむかい合わせた」
 「それが、天才のやることですか?」
 「見えてくるものが、ひとつある。人に対して、どこか甘いのだ。自分より劣っている人間でも、大きく劣っているとは考えない。少しだけ劣っている、と思ってしまうのだ。だから、孔明殿に見込まれると、重いものを背負いすぎてしまう」
 超雲が、杯に酒を注いだ。孔明は、言われたことを反芻していた。最後は、馬謖のことだけを言われたような気がした。
 「その一点の失敗さえなければ、天下は覆ったと私は思う。戦略は、天才のものなのだ。そして戦術も。流浪の軍にすぎなかったわれらが、蜀という国を作るところまで行った。これほ、孔明殿の天才があったからだ」
 「勝つことがすべてです、乱世では」
 「まさしく、そうだ。負ける者は滅びる」
 孔明も、いささか酔いはじめていた。もっと酔えというように、趨雲が酒を注いだ。
 「天才は、時として負ける。曹操がそうであった。負けても立ちあがる。それが天才の天才たるところだろうと思うが」
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