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<本文から>
この一年、乱世は束の間の平穏の中にあった。それは、さらに大きな動乱の予兆を学んだ静けさなのだった。魏、呉、蜀と、国土は三つに分れたままだ。その中で蜀が生き残れるれ、ということなど孔明は考えていなかった。魏と呉を併呑し、国土をひとつに統一する。そして、漢王室の帝を立てる。それが、劉備とともに抱いた志だった。
蜀はまだ、三国の中では最小、最弱と言うしかない。
しかし、道は残されている。国土が二分ではなく、三分であるからだ。最強の魏も、呉と蜀の二国を相手にすれば、決して安泰というわけではない。
昨年の秋から、呉との同盟について、秘かな交渉をはじめていた。呉と同盟せよというのは、劉備の遺言でもあった。死を前にして、劉備は透徹した限を取り戻し、蜀のとるべき道をしっかりと見定めたのだ。
同盟の下交渉は、部芝という文官が当たっている。呉側の担当官は、孔明の兄でもある諸葛謹で、部芝は孔明が驚くほどのしたたかさを発揮し、ついに呉の正使が成都を訪問するというところまで話を進展させていた。死んだ人間も多いが、各方面で育ってきている者もまたいるのだ。
軍は充実を取り戻しつつあるが、将軍だけは別だった。趨雲以外は、みんなまだ小粒なのだ。実戦を重ねていけば、大きく育つというものでもなかった。無理なことを望んでいる、という気持が孔明の底にほあった。なにしろ、較べている将軍が、関羽、張飛、馬超という、どのひとりをとってもこの乱世で吃立していた英傑なのだ。
超が残っていることが、救いだった。若い将軍たちは、英傑の大きさにまだ接することはできる。
孔明は、丞相府の奥にある居室に、ひとりで寵ることが多くなった。実務は、ある程度文官たちに任せても、心配はなくなったからである。
ひとりで考えるのは、蜀がいつ北進できるのか、ということばかりだった。そのために、どれほどの条件を整えなければならないのか。天険に恵まれた蜀を守ることだけなら、たやすいことである。民政を充実させ、無理のない規模の精強な軍を擁していれば、魏や呉が攻めこんできたとしても、間違いなく打ち払える。
しかしそれでは、蜀漢として国を建てた意味がなくなるのだ。漢室再興の志。国家のありようとはどんなものか、という考えに基づいた志だった。それがあればこそ、戦をして、兵を死なせ、民を苦しめることも許される。 |
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