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          北方謙三-三国志(1)天狼の星

■劉備、関羽、張飛の兄弟の契り

<本文から>
 「どうしたのだ」
 出てきた劉備が、驚いたよう、に声をかけてきた。定を背負っている。これから、城内に売りに行くつもりなのだろう。
 「なにかお命じいただきたくて、ここで待っておりました」
 「命ずることなど、なにもない」
 「それなら、その筵を俺が売ってきます」
 張飛が言った。
 「本気なのか、二人とも」
 「男の本心を、疑われるべきではありませんぞ、殿」
 劉備が、一度息を吐いた。
 「実は、待っていた。二人がほんとうに来てくれるかもしれないと、心の底では待っていた。それは熱い思いだった。なにしろ、はじめて夢を語った相手だったのだからな」
 「ならば、われら二人は、これより劉備玄徳様の家来となります」
 「二人とも、聞いてくれ」
 「家来にしない、ということ以外なら、なんでも」
 背負っていた産を降ろし、劉備は二人の前に座った。
 「私は、二十四歳になる。関羽はひとつ下。張飛は十七。長兄と次兄と末弟ということにしようではないか。張飛が関羽を兄と呼んでいるように、二人とも私を兄と呼べばいい」
 「わかりました」
 頭を下げ、それから顔だけ劉備の方にむけた。
 「兄上」
 関羽が言うと、劉備がほほえんだ。張飛が、はしゃいだような声をあげる。
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■劉備はかっとして見境がなくなる

<本文から>
 なにかで、かっとするところが劉備にはある。それがなにか、劉備にもわからない。中山の安喜県で郡の督郵を打ち据えたのも、それだったという気がする。溢れそうになっているものが、なにかのきっかけで噴き出す。そうなると、残忍なことも平気でしてしまうという自覚がつのった。
 世に入れられない。そんなことには、馴れていた。雄飛する場所を得ないのは、時がまだ来ていないからだ、と自分に言い聞かせることはできた。それまでは、ただ耐えるのである。人に顔むけができないようなことは、まず第一に自分に禁じた。あれが劉備玄徳だと、人に称賛されることをやろうとも思っていた。
 それでも、時々かっとする。
 気づくと、関羽が劉備の背後に回って押さえ、代りに張飛が乱暴を働くということが多かった。劉備玄徳は徳の人でなければならない。関羽はそう言い、張飛はその通りに思いこんでいた。ある時、劉備は張飛に謝ったが、大兄貴に欠点のひとつぐらいなければ、俺たちはどうしようもない、と笑っただけだった。
 劉備は、自分のかっとして見境がなくなる性格が嫌いだった。できるだけ少なくしようと努力ほしたが、ふた月に一度ぐらいはそれが出てしまう。
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■二百の手勢で敵を討ち取る劉備軍

<本文から>
 公孫墳が、また唸った。
 「成算があると言うから軍議に呼んだが、二百で華雄にむかうなどと言うとはな」
 「まあ、御覧いただきたい。私がもし勝てば、公孫項殿の軍議での立場も大きなものになるのですから」
 笑ったが、劉備は楽観しているわけではなかった。なんといっても、二百なのだ。敵が全力で応じてきたら、勝てるわけがない。
 『劉』の一文字の旗を掲げ、劉備は出発した。孫堅の軍の脇を駈け抜け、前面に躍り出す。躊躇はしなかった。騎馬隊を両異に拡げ、劉備は剣を引き抜いた。全身がふるえた。これしきの難難。前方を見据えた。これを打ち破れなくて、なんの天下か。のどが、ひりついた。剣を持った手が、癌のようにふるえた。
 「劉備玄徳、ここにあり」
 剣をあげ、肛の底から叫び声をあげた。振り降ろす。切先を、敵にむける。駈けた。小さくかたまった。両巽から、関羽と張飛が出てくる。ばらばらと矢を射かけてくるだけだ。笑っている者もいる。正面から、ぶつかった。押しこむ。本陣の旗。まだ遠い。張飛の叫び声が聞えた。蛇矛が舞う。ひと振りで、六、七人が弾き飛ばされ倒れる。関羽も、群がってくる敵を突き倒しながら進んだ。張飛が、さらに前へ出る。蛇矛が、道を作っていく。不意に、関羽がその道を疾駆していった。首が、四つ五つと飛んだと見えた時、関羽ほ本陣に達していた。
 「華雄の首だ。みんなみろ、討ち取ったぞ」
 青竜催月刀の先に突き刺された首が、高々と掲げられた。その姿のまま、関羽は戻ってきた。張飛と並ぶ。劉備のそばまで来ると、両脇について戻りはじめた。敵は、しんとしている。斬りかかって来る者さえいない。
 「殿のあとに、旗はつけ」
 兵が集まってきた。
 「勝ったぞ。胸を張れ」
 張飛が大声で言う。はとんど、兵は失っていなかった。遠く、孫堅の軍から、大城声があがった。それは、いつまでもやまなかった。
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■超雲に一年の旅をさせた

<本文から>
 劉備は、再び流浪の道を選んだ。
 陣払いの日、当然のように超雲はそばにいて、劉備に従おうとした。
 「さらばだ、超雲」
 劉備がそう言うと、超雲だけでなく、関羽や張飛もびっくりしたようだった。
 「家来にしていただけないのですか?」
 「おまえは、大将といえば公孫?殿と私しか知らない。いまこの国に、大将は雲のごとくいる。それを見るために、旅をしたらどうだ。少なくとも一年。それでも私がおまえの大将に値すると思ったら、その時に、また私の陣へ来い。私は、どこかで闘っているはずだ」
 「殿以外に、私の大将は考えられません」.
 「若いから、そう思うのだ。いまおまえに必要なのは、私以外の大将を数多く見ることだと思う」
 「いやです。私を連れていってください」
 超雲は、地面に座りこみ、涙を流しはじめた。
 賭けだった。一年の間旅をすれば、従いたいと思う大将が出てくるかもしれない。どうしても欲しい男なら、いまここで麾下に加えた方がいい。しかし一年後にまた戻ってきたら、結びつきはもっと強いものになるはずだ。それに、純真なだけでなく、超雲はもっと世間を知るべきでもあった。
 「お願いします。なんのために、常山の山中で十年も自分を鍛えたのか、と私は思ってしまいます。軍勢の端に、どうか私を加えてください」
 「くどいぞ、超雲」
 「私の、どこがお気に召さないのですか?」
 「いや、おまえのことは、高く買っている。流浪の身の私の軍に加わってくれるという気持も、ありがたいと思う」
「それなら」
「一年、旅をしてみろ、超雲。旅をしながら、この国の姿をよく見るのだ。その眼で、おのが大将を選べ」
「待ってください」
「くどい。男は」耐えるべき時は耐えるものだ。それができぬなら、私の前から永遠に去れ」
 超雲が、うつむいた。土の上に、涙が滴り落ちている。
「進発」
 劉備は、関羽に言った。関羽が声をあげる。進みはじめた。さらば。心の中で、劉備はもう一度言った。軍が動きはじめる。
 また流浪の旅。千人の軍を、受け入れてくれるところがあるのか。なければ、どうすればいいのか。劉備は、それを考はじめていた。
「戻ってこい、子竜。一年経ったら、必ず戻ってこいよ」
 張飛が叫んでいた。
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