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<本文から> 「私のために、あえて憎まれ役を引き受けられましたか、韓当将軍?」
「なんの。あの者どもは、私の息子同然。戦場で、軍人がどうあるべきか、教えてやっただけです。それも、当然持つべき心得のようなものをです」
「険悪な雰囲気になりかかっていました。私は、助かりました」
「闘う方が、楽なのです。だから軍人は、敵を前にすると、すぐ闘いたがるのです。陸遜殿は、耐えておられる。私には、それがよくわかります」
「楽ですか、闘う方が」
「相手が精強であればあるほど、闘う方が楽なのです。これは、四十年に及ぶ、私の軍人としての生活から、はっきり言えることです。私が見てきたかぎり、耐えた者の方が勝ちます」
「お礼を申しあげます、韓当将軍。私は将軍がこの陣に加わられることを聞いて、いささか危倶を抱いておりました。まず、将軍を説得するところから、はじめなければならないのかと」
「勝敗は、私にもわかりません。赤壁の時は、実は勝てるとさえ思っていませんでした。しかし周喩将軍ほ、風を待って耐えに耐えられました。勝利が見える。そういう人が、軍人の中にもいるのかもしれません」
「私には、実はなにも見えていないのです。決戦場を、夷陵にすべきか夷道にすべきかということも含めて」
「それでいいのだ、と思います。周喩将軍も、十倍する敵に、勝てるという見通しは持っておられなかった。しかし、勝った。なにか、私には見えないものが見えていたのだろう、といまにして思います。軍人は、特に指揮官は、気持に映し出されてくるものを、信ずるべきです」
「他人の意見より、自分の心の中を信ずるべきだ、と私は韓当将軍に教えられた、という気がいたします」
「私ごときが、陸遜殿になにを教えられます。ひたすら闘いに生きた老兵にすぎません」
それでも、助けられた。自分でそう思っていればいいことだと思い、陸遜はそれ以上執拗には言わなかった。
「ついに、蜀の主力が進みはじめました、韓当将軍」
「らしいな」
「私は、まだ迷っています」
「そんなことを、一校尉たる私などに申されるべきではない。大将は、ひとりで迷い、悩み、苦しむものだと思う。私が赤壁に従軍した時は、周玲将軍がおられた。すべての苦しみは周喩将軍ひとりが引き受けられ、私はただ闘うことだけを考えていた」
その周喩の苦しみを、側近の校尉として陸遜はそばで見ていた。あの時、周喩がむかい合っていた敵は、いまの蜀軍よりほるかに強大だったのだ。 |
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