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<本文から> とにかく、約束どおり船長は、間もなく万次郎に教育を受けさせ始めた。
家のすぐ近くにある「オックスフォード・スクール」へと万次郎は入学し、そこで初等教育を受けた。捕鯨船での二年間の日々で会話は既に身につけていたが、読み書きはさっはりだ。アレソ先生という女教師の指導のもとで、子供たちに混じって万次郎は懸命にそれを学んだ。
土佐では寺子屋に通えなかった万次郎だ、日本語の読み書きもほとんど出来ない。
つまり万次郎は、日本人でありながら、初めて正式に学び身につけたのは英語だったのである。
自分の思いを文字に綴れる、書かれた物から意味や相手の思いを読み取れる…読み書きが出来るようになっていく時の万次郎の喜びは、どれほど大きかったろう。
ある日万次郎は何気なく町の公会堂を覗いた。そして驚いた。
そこでは住民たちが集って自由に意見を述べ合い多数決で町の行政を決めていたのだ。
万次郎には信じられないことだった。日本では藩や幕府の考えを役人が一方的におろしてくるだけなのだから。民意が反映されるなどということは絶対にあり得ないのだから。
″感謝の文化"とともにこの ″民主主義″もまた、アメリカの素晴らしさを万次郎に強く印象づけた。
そして、国とは放っておけば誰かが動かしてくれるものではなく、自分たちが動かしていくものなのだということを覚った。
この時の思いが、……後の万次郎の全ての原点となった。 |
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