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<本文から> このように岩崎弥太郎という男の前半生は、試練の連続だった。しかとつかんだはずのしっぽをちぎって、夢のトカゲはスルリと弥太郎の掌中から逃げてしまうのだ。だが、弥太郎の偉いところは、そうした現実に消沈せずに、前進を続けようとする姿勢を崩さなかったことであろう。
官途に就く望みが絶えたいま、今度は岩崎家を富家にしようと動き出したのだ。
弥太郎は安芸川の両岸に広がる荒地の開拓をはじめ、たった一年間で一町もの田圃を切り開いてしまう。この新田は現地の人々から「岩崎開き」と呼ばれた。なお、開墾のさい、洪水の被害から新田を守る堤も構築したといわれる。
くわえて新たな畑地も開拓し、綿栽培をおこなった。また、香美郡片地山(官有林)を伐採する許可を藩庁から得、薪炭をつくって商人へ卸す計画をたてた。さらに自分でも山を買ったのである。
この間、長女の春路が生まれ、慶応元年(一八六五年)八月には長男の久弥が生まれた。
こうしてわずか三年の間に、岩崎家は見事再建されたのだった。
弥太郎の行動を見て思うのは、結局、出世する人間というのは、たとえどんな境遇に置かれても、成功するのではないかということである。
おそらく、弥太郎が土佐藩に役人として再登用されなかったとしても、きっと農業経営で成功し、やはり晩年は大きな経済的成功を勝ち取ったろうと、私は確信している。
では、大成する人間の共通点とは、いったい何なのか。
思うにそれは、どんな過酷な環境に置かれても、知恵をしぼって発展的な努力ができる性質ではないだろうか。そして、そうしたねばり強い性格は、生まれながらの資質ではなく、後天的なものであり、己の考え方次第で獲得できるものだと、私は信じている。 |
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