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<本文から>
平野国臣がいう。
「いまや各宮家をうごかし、朝義を倒幕一すじにしぼり、天皇から勅旨をたまわって、体当りに幕府を打ち倒すまでだ!」
これら勤立志立たちの言動の激烈さは、その極点に達していた。
平野も小河も、
「西郷氏も、われらと共に起ち上がっていただきたい」
血相を変えでせまる始末であった。
事が、ここまで急迫していることを知って、西郷吉之助はおどろきもし、また、(いま、うかつに動いてはあぶない)
直感した。
以前の西郷ならば熱血のおもむくままに奮然、彼らと行を共にしたであろうが、三年にわたる大島での蟄居は西郷を見違えるほどに成長させている。
西郷も彼らと同様に、幕府打倒をめざしている。けれども、徳川幕府の威望というものは、まだまだ馬鹿にはできぬ。二百何十年も天下をおさめてきた大政権を、志士どもの熱に浮かされたような暴動で倒せよう筈はない。
そもそも、薩摩にしてからが、島津久光はあくまでも、
「幕府と共に新しい政治をしよう」
というのが建前なのである。
この点で、久光と西郷はこれより後も、ついに和解できなかった。
故島津斉彬も、かつては「幕府と共に……」の持論であったわけだが、いま斉彬が生きて在れば「必ず先君は倒幕をはかられたにちがいない」と、西郷は信じている。また、それだけの裏づけになるものを西郷はもっていたのだと思う。
しかし、まだ早い。
西郷は、あの<安政の大獄>の大弾圧によって幾多の偉材が失われたことを忘れきれなかった。
(ともあれ、いまは、これらの人びとを何とかして押さえばならぬ)
と西郷はおもった。
大久保や小松も、こうした事態をおさめるため、西郷にはたらいてもらおうといのではなかったか……。
西郷の人格の立派はいうまでもないが、見るからに偉人の風貌をそなえているから、その言動は倍加する。 |
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