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<本文から> 利長は心中をあかした。
将軍を退隠した家康は、大御所として近々のうちに駿府城に住まい、側近の臣をおき、そこから江戸の幕府政治を指導するようである。利長がかんがえたのも、それとほぼおなじである。利長は隠居した後は、越中新川郡に養老領を得て、富山城を居城とするつもりなのだ。
「前田家は今がいちばんむつかしい時機でござりましょう。殿のご隠居はもうすこし後にのばされたほうがよくはございませんか」
長種が言った。
長種は重臣筆頭の立場であるし、利光の博役でもあるから、もっとも現実的なかんがえ方をしている。
「かりに余が数年隠居をおくらせたとしても、前田家の立場はほとんど今とかわることはあるまい。それがあと十年先になったとしても同断であろう。それならば、時機をおくらすことはほとんど意味がない。そうはおもわぬか」
逆に利長が長種に言った。
「十年たてば、前将軍はご他界なさっておるやもしれません。そのとき若君様は立派な成人になられておいででしょう」
長種は当然そこまで先を読んでいた。
「しかし家康は、他界いたすまでにきっと、新将軍の幕府を確固たるものにそだてていくであろう。そのために今、自分は退隠いたしたとかんがえるべきじゃ。徳川にもすぐれた重臣老臣はそだっておる。幕府の職制や法度なども今後いろいろさだまっていくであろう。十年時をかせいだとしても、あまり意味はあるまい」
以前からかんがえていたことなので、利長の意中は揺らがなかった。
「されども殿がご隠居なされれば、家中はまとまりを欠くことは必定でございます。今後まったく幕府の言いなりになっていく恐れもございましょう」
今度は横山長知が口絶紬さんだ。
長知は横山家の一世長隆の次男である。幼名を三郎といい、現在は大勝と名乗っている。ずっと利長につかえてきた臣である。
「余が隠居して、家中がまとまりを欠くようであれば、なんのための重臣、老臣たちであるか。一人欠くれば後がそだつ。それが人の世じゃ。それに余は富山において健在じゃ。心配はない」
利長の隠居の決意はかたかった。重臣たちの反対や説得で意志を撤回するものではなかった。
利長は、今の徳川の治世には嫌気がさしていた。しかし百二十万石の天下最大の大名として嫌気がさしたからといって隠居するわけではなかった。 |
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