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<本文から>
「−こなた様が、千姫に子を産ませては一大事。そう思うてな、まず伊勢に男をあてごうた、と思うがよい。娘にしておいて、それからこなたに近づけようためじゃ。そのうち伊勢は、身ごもった…必ずしも上様のお子とは限らぬゆえ、この上遁がして捕われでもしてはかえって不為め、お気になさるな」
秀頼の、自分の素姓についての疑惑はこれで決定的になってしまった。
(−女というは、何という怖ろしい……)
徳川の血筋というても千姫は、母の妹の子ではないか。その血筋を呪うあまり、伊勢にまたわからぬ子を産ませたとは、何という狂った執念の深さであろう……
秀頼は、伊勢を責めた。責める時には、我の強い母の嘘を信じようとしていた。
ところが、その最初の部分は真実だった。母が自ら伽を命ずる気で呼んだ二人の中の一人に、まだ小娘の伊勢をあてがったことがある……その時から、秀頼の眼の前が透きとおるように明るくなった。
我執の悪が抜け去って、自分だけは「−豊太閤の子」で死なねばならぬという、青空のように突き抜けた手がかりのない覚悟であった。
いや、それ以上に深い疑惑であったと言ってもよい。当然自分に味方してくれるはずの、浅野も上杉も、黒田も毛利も細川も京極も、実はみな、秀頼の血に疑惑を抱いて遠ざかったのに違いないという不信であった。
秀頼は、不意にあふれ出る涙の中で、心の底から豊太閤を抱きとった。この父への憐憫に比ぶれば、城や勝利は、ものの数ではない気がした。
(−死んでやろう。城と共に、父の子として……)
あがけばあがくほど、血筋の不信は、豊太閤の恥辱としてひろがるばかりだ。
そこで国松丸も、その妹の嬰児も、そのまま城内において、今日の秀頼は、もはや不動の座にある奇妙な勇者であった。
勝つはずはない。いや、潔く負けてやらねば、父も母も救われない。勝ってはならぬ戦であり、遁げてはならぬ戦なのだ…
そう思ってみると、総濠を埋められたこの大坂城に残った剛の者たちは、みなそれぞれに、死なねばならぬ理由を持った物の怪に見えてくる。
「重成、こなたも戦には意見があろう。戦場はいずれに選ぶか、申してみよ」
秀頼が透明な表情で問いかけると、同年の重成はニコッとした。これもまた底抜け打明るい笑いだ。
「まず真田どのから.われらは死所などどこであろうと、いささかも選り好みはいたしはせぬ」 |
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