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<本文から> そして、あたふたと阿波が去ってゆくと、文机を引き寄せるようにして、じつと虚空を睨みだし、侍女が燭台を運んで来ても、小姓が手焙りに炭をつぎに来ても見返ろうとはしなかった。
(−家康が、まだ自分を疑っている……)
いや、自分の方が、まだ心から家康の天下を認めていないと、はっきり宗矩は指摘した。言われてみると、それはそのとおりに違いない。
(−家康の方が先に死ぬ……)
それは、いつも政宗の心の底に大きく胡座をかいている。不逞な戦国人の名残りであった。
家康が亡くなった時が一つの危機! その危機は、しかし外にはない。将軍秀忠をめぐる肉親と側近の間にある。
「−お家騒動」というと古めかしいが、この古めかしい形をとって天下は一度崩れかかるに違いない。
いや、問題はそこからさらに一歩前進した……と、柳生宗矩は薄気味わるい見方をしている。
家康は、秀頼を大坂城から他へ移すため、ついに兵を動かす覚悟を決めた。となれば、今度は政宗は、関ケ原の時とは変って先陣を命ぜられる。
先陣を命じておいて、政宗の出方を見る。となると、政宗の立場は、関ケ原のおりの福島正則の運命よりもはるかに危いものになる。
正則の城は、当時、決戦場に近い清洲にあったが、政宗は仙台からわざわざ兵を引きつれ、遠く領地を離れなければならなくなる。
そうした不利な立場で、もしも「−政宗謀叛」などと言い立てられたらどうなろうか……
大坂攻めのまことの敵が、秀頼ではなくて伊達政宗であった……いや、政宗は、どこまで行っても家康には心服はしない男…と見抜いてゆけば、あの老獪な家康のことだ。すまして兵を出させておいて、大坂近くでおっとり囲んで討つぐらいのことは考えるに違いない。
その危険があるのを知っているかと、柳生宗矩はわざわざ自分に忠告している。
(−そうか。そう思われては一大事ゆえ、家康が江戸へ出て来たら、政宗の方から進んで誠意を披歴して、諒解を得ておくべきだという意見だったぞ)
しかし、この事は、政宗にとって決して簡単なことではなかった。
「−家康も人間ならば政宗も人間!」
今日まで一定の距離をおいて対等線上にあった信念の一つを捨て去り、向後一切家康の思案のままに臣従してゆかねばならぬことになる。
政宗は虚空を睨んで、何度かはげしく舌打ちした。
(−柳生宗矩め! いったい、わしに親切なのか? それとも脅かしにやって来たのか……?)
十中八、九までは、天下に騒動を起すまいとする柳生の親切に出ていることとわかっていながら、忌々しさがこみあげる。
(−先陣を命じられると、拒む理由は全くない。しかも出征してゆくと、主力と本国の間を江戸に断たれて、伊達勢の死命は完全に家康に制される)
そういえば、第一の誤算は、政宗の側にあったようだ。政宗は、七十歳を超えてソロバンばかり睨んでいる家康に、自身で大坂攻めの先頭に立つ気力などはもう残っていないものと思い込んでいた。
ところが、家康め、どこまでも骨身を惜しまぬ戦国人で、見事に政宗の予想を蹴って起つ気になった。 |
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