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          伊達政宗 3

■勘があたった朝鮮出兵の功績

<本文から>
  すぐれた人間の知能が、鋭敏に合理の軌道をすべりだすと、それは予言者じみた適中を示すものだ。
 伊達政宗は、初めて踏む敵地で、ウロウロしないために金海域をめざした。
(危険などはどこにもころがっている……)
 それが戦場なのだから、せめて心柄のわかった人物の部隊と合同して向後を策そうと考えために過ぎない。
 ところが、実際にそれはそのとおりになっていた。一名竹島城とも呼ばれる金海城は、洛東江西の支流の右岸にあって南・北・西の三面を水田にかこまれた穀倉地帯の要衝だ。ここを確保して、日本軍の引き揚げを容易ならしめようとした浅野勢は、敵の急襲にあって今や風前の灯にひとしい苦戦を続けていたのだ。
「どうだ。政宗のカンは確かなものだろう。ここで浅野父子を救っておいて、早く本国へ引き揚げる機会を掴むのだ」
後の一語は口にしたかどうか?
駆けつけざま浅野勢を囲んでいる敵の背後から白兵戦を挑んでいった。
 策戦は図に当った。日本からの救援軍を城内に取り籠めたつもりで昂然としていた敵 は、さらにもう一隊の救援軍の伊達勢に思いがけない奇襲を受けて悲鳴を挙げて崩れだ した。
「よオし、武神はわれらにお味方なされたぞ。今だ!一挙に敵を蹴散らして、浅野父子を救い出せ!」
 こうなると、浅野父子の苦戦を知って、上陸と同時にわき目も撮らず、金海城を攻め立てたことになるのだから、その信義も戦功も抜群になってゆく。
 この時挙げた敵の首級が二百二十。
 十三日に上陸して、十八日にはもうこの戦果をあげ、敵を慄えあがらせて敗走させたのだから、名護屋にある秀吉が雀躍して喜ばないはずはない。
「−さすがに伊達じゃ!すぐさま感状を送って遣わせ。そうか、二百以上も首級を挙げたか」
 何事によらず大袈裟なことの好きな秀吉だ。さっそく口述で感状を認めさせて現地に送った。
▲UP

■秀次処分の連座の罠

<本文から>
 久しぶりに領国へ帰って、僅かに二カ月あまり、その間に、秀吉の政宗に対する信頼は逆転した。
 三国一の武功の感状は過褒にしても、秀吉自ら、
「−長い間ご苦労であった。帰国して藩政を見て来るように」
 そうした思いやりと労りとは、実は政宗を京から遠ざけて、急いで罠の用意をするためであったとしか解しようはない。
 政宗の無実を証明できる人々は、関白秀次をはじめとし、その重臣たちまであっという間に、ことごとく処刑されてしまっているのだ……
(何という手際のよさか!)
 はげしい憤怒の時が去ると、政宗は全身の粟立つような戦慄を感じた。
 彼の全く気づかぬところで、素晴らしく緻密な陰謀が着々と練り上げられていた。
 それに気づかなかった政宗も迂潤であったが、この場合、秀吉もまた加害者ではなくて、むしろ被害者であったのかも知れない。
 秀吉が肉親の甥である関白秀次を憎んでいるはずもなければ、秀次に謀叛を企てるほどの器量もない。
 にもかかわらず、関白は謀叛人と決めつけられてすでに処刑され、伊達政宗はその共犯者として即刻上洛を命じられている。
 しかもその命令者は、これも被害者に思える秀吉自身なのだから、まことに奇っ怪な罠の構成になっている。
(今までの呼び出しとは、全然事情は変っているぞ)
 いつも同じことは、政宗が帰国すると、追いかけるようにして、上京の命令が届くことだけ……政宗が領国へ落ち着くのを嫌っている、と考えるよりは、ひとまず秀吉の膝もとから、政宗を引き離しておいて、その間に巧妙な謹言が繰り返されてゆく……と考える方が正しかろう。
▲UP

■政宗の危機を救った家康の策

<本文から>
  とにかく二人は、こうしてくわしく事実を認めた直訴状は渡してあったが、結束をみだることを怖れて、政宗にはまだ報告していなかった。政宗も、薄々そうした動きもあると承知して、不問に付していたものであるのはいうまでもない。
 こうして二十二日に受け取った書状を、二十三日の朝、伏見城の大奥で、もう一度近侍に読ませ、これに聞き入っている秀吉のところへ布施谷久兵衛、牧野主水、水竹仲左衛門の三人が、家康から、お目にかけたいものがあり、それを持参したといって目通りを願い出た。
 「なに、江戸の大納言からだと。よし、庭先へ通せ」
 秀吉は、実は家康が、政宗のことにつき、どのような手を打って来るかと、内心待ちかねていたところなのだ。
 やがて案内されて、庭木戸を入って来る三人の姿を見ると、まっ先の布施谷久兵衛が、手に真新しい白木の高札をさげている。
 (フン、あの中に、家康の秘策があるのか)
 秀吉はわざと眉根を寄こせて、
 「麗しきご尊顔を拝し奉り…」
と、沓ぬぎの向うに坐って挨拶しだした三人の頭上から、
「麗しくはない!」
と、怒鳴り返した。
「今朝は、腹が渋って不快なのじゃ。何だ、その高札は?」
「されば、この高札が、徳川家の門前に、これ見よがしに立てられてござりました。まずもって殿下のお目にかけよと申されまする」
「読め! わしは眠が遠うなっている」
「恐れ入ってござりまする。されば…」
 布施谷久兵衝が差し出す高札を、牧野主水が腰をのばして朗々と読みあげた。
「−伊達政宗儀、羽前山形の城主最上義光と謀って天下を奪わんとす。不埼至極の仕業なり」
「たったそれだけか」
「はい。あとは文禄四年九月二十三日と…」
「何の変哲もない。そ、それを、大納言は、この穀下のお目にかけよと申したのか?」
「はい、何はともあれ、穏やかならざる訴え、即刻お目にかけるようにと」
 秀吉は入側に突っ立ったまま、顔をゆがめて舌打ちした。
「あの古狸め、天下の名案などとぬかしおって、自身出てでも来ることか…」
言いかけてふっと声をのみ、それから割れるような声で笑い出した。
「ワッハッハ…そうか。そうか。わかったわ。このような子供だましの高札に、大納言ともあろうものがびっくりいたしたな」
「はい。何しろ」天下を狙っているなどと穏やかならぬ…」
「ワッハッハッハ…大納言にそう申せ。安堵せよとな。このような子供だましの高札、これでわかった! これは思案の足りぬ奴よ、伊達政宗に何か怨みを含んでの小細工じゃ。すると、それ、この前のことどもは、みな同じ奴が、あることないことを訴えて、私怨を晴らそうとしたものよ。そうだ、これで悉皆わかったぞ。何の!殿下ほどの者が、このような小人ビもの小細工に瞞着されるものではない。政宗への疑いは解けたと、大納言に伝えておけ」
 三人の、呆然として庭から見上げる視線の中で、秀吉は不機嫌どころか、床を踏み鳴らして笑いながら大声で茶坊主を呼び立てた。
 「これ、坊主どもはおらぬか。玄以を呼べ、施薬院の法眼を呼べ。そうだ、法印と法眼のほかにな、寺西筑後と岩井丹後も呼んで来い。伊達家へ使いしたのは彼らであったわい。なに、筑後も丹後もまだ出仕しておらぬ…たわけた怠け者どもだ。そのように怠けていると古狸の餌食にしてやるぞ。誰ぞ呼びに走らせろ。殿下が、カンカンに怒っておわすと申してな。ワツハッハッハ……これはよい。これ、その高札をこれへ持て。これをみんなに見せてやらねば」
 やはり秀吉は、伊達政宗が、どこか好きであったと諒解するよりほかにない…
▲UP

■関ケ原では始めから迷わずに勝敗を見定めた

<本文から>
 そのため、どっちへ転んでも「わが家は存続−」という苦肉の策をめぐらし、父子兄弟が、双方へ別れて戦ったものも少なくない。
   (石田方)       (徳川方)
真田昌幸(父)  真田信之(子、兄)
  幸村(子、弟)
蜂須賀家政(父) 蜂須賀豊雄(子)
生駒正俊(子)  生駒一正(父)
九鬼嘉隆(父)  九鬼守隆(子)
前田利政(弟)  前田利長(兄)
京極高次(兄)  京極高知(弟)
小出吉政(兄)  小出吉辰(弟)
 こうした厄介な戦の中で、始めから迷わずに、勝敗を見定め、はっきりと賭ける方へ賭けて動じなかったのが伊達政宗であったと言える。
 政宗は誰にも無条件で惚れたり感心したりする男ではない。と同時に、誰にもそう易々とは欺されない。
人間嫌いとか、人間を信じないとか言うのではなくて、人間の限界も正体も、冷酷なほどによく知り、よく見抜いた、むしろ人間信者と言ってもよい。
 その政宗が、関白秀次事件の解決後、わが子兵五郎秀宗を人質に差し出す約束をしたあとで、初めて石田三成の執拗な敵意の根源を探りあてたのだ。
 おそらく三成とて最初から政宗を憎んでいたわけではあるまい。
 秀才と秀才の妬みから来る悪戯ごころが多分にあったに違いない。ところが、そのつど、これを政宗にハネ返された。
 そうなると、三成の警戒は二重三重にならざるを得なくなる。
(−これは容易ならぬ曲者だぞ)
 この曲者と家康に手を組まれては、彼の出てゆく世界はない。秀吉までが次第に政宗に惚れ込みそうな気配なのだ。
 こうして三成は策戦を一変した。手の内をきれいに見せて政宗に接近し、これを抱き込もうと計って来た。が、政宗が果してその誘いに乗るかどうか…?
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