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<本文から> 浜には、二首の兵が四段忙分れて散開している。海上には十勝の関船。河野勢は、まだ八百近く残っているだろう。夜襲の軍勢が壊滅したことは、知られていないはずだ。
本陣には、牧宮と義範の二人だけだった。脇の物見櫓の下に、孫九郎重明がじっと控えている。
「九州へ入る前に、1度だけ闘っておきたかった。九州では、儂は兵を集めるための旗印にならざるを得まい。しかし、それだけでは不満なのだ。名実ともに、征西将軍でありたい」
それが危険なことなのかどうか、義範には判断できなかった。ただ、似ていると思った。同じ後醍醐帝の皇子の中で、牧宮より二十歳ほど年長であった大塔宮護良親王である。建武の御新政を守るために、父なる人に追われなければならなかった。そして鎌倉の幽閉さきで、不慮の死に見舞われたのは、義範が二十二歳の時だった。武門の棟梁たる征夷大将軍の地位を望んで、足利一門と対立した結果の暗殺であった、と忽那島にも聞えてきた。
峻烈にして剛直な皇子だったという。足利が権勢を振うこの時代を、すでに見抜いていたに違いない。
あれから、六年以上の歳月が流れている。後醍醐帝は崩御せられ、新田義貞も楠木正成もすでに亡い。
「重明が献策いたしました、沖の伏勢。あるいは、御所様のお考えではありませぬか」
牧官は、本陣脇にうなだれて控えている重明に、ちょっと限をくれた。
「孫九郎を責めないでくれ。断りきれなかったのだ」
重明は、義範と二人だけになった時も、ひと言の弁明もしようとしなかった。征西将軍宮を、戦場に連れ出した。それだけで、万死に価いすると覚悟は決めているだろう。腹を切れと言えば、すぐにも切りそうな気配があった。
「孫九郎の罪を問うというのなら、儂は黙っているわけにはいかぬ」
床几から腰をあげ、牧官は錦を岩に突いて杖のように太刀を持った。膝立ちのまま、義範はちょっと笑みを洩らした。
「なにがおかしい?」
「海賊大将でございますぞ、それは」
「村上義弘は、太刀をこのようにするか」
「征西将軍官のなされることでは」
「儂はこれでよい」
「よく、津和地には行かれておりましたな、御所様は」
「忽那七島というが、あそこが一番性に合った。孫九郎が、兄弟のように儂を扱ってくれたからだ」
「聞いたか、重明」
「はっ、恐れ多くも」
「たわけが。儂に耳打ちでもすればよいものを」 |
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