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          北方謙三-武王の門・上

■後醍醐帝の皇子・牧宮の九州入り

<本文から>
 浜には、二首の兵が四段忙分れて散開している。海上には十勝の関船。河野勢は、まだ八百近く残っているだろう。夜襲の軍勢が壊滅したことは、知られていないはずだ。
 本陣には、牧宮と義範の二人だけだった。脇の物見櫓の下に、孫九郎重明がじっと控えている。
 「九州へ入る前に、1度だけ闘っておきたかった。九州では、儂は兵を集めるための旗印にならざるを得まい。しかし、それだけでは不満なのだ。名実ともに、征西将軍でありたい」
 それが危険なことなのかどうか、義範には判断できなかった。ただ、似ていると思った。同じ後醍醐帝の皇子の中で、牧宮より二十歳ほど年長であった大塔宮護良親王である。建武の御新政を守るために、父なる人に追われなければならなかった。そして鎌倉の幽閉さきで、不慮の死に見舞われたのは、義範が二十二歳の時だった。武門の棟梁たる征夷大将軍の地位を望んで、足利一門と対立した結果の暗殺であった、と忽那島にも聞えてきた。
 峻烈にして剛直な皇子だったという。足利が権勢を振うこの時代を、すでに見抜いていたに違いない。
 あれから、六年以上の歳月が流れている。後醍醐帝は崩御せられ、新田義貞も楠木正成もすでに亡い。
 「重明が献策いたしました、沖の伏勢。あるいは、御所様のお考えではありませぬか」
 牧官は、本陣脇にうなだれて控えている重明に、ちょっと限をくれた。
 「孫九郎を責めないでくれ。断りきれなかったのだ」
 重明は、義範と二人だけになった時も、ひと言の弁明もしようとしなかった。征西将軍宮を、戦場に連れ出した。それだけで、万死に価いすると覚悟は決めているだろう。腹を切れと言えば、すぐにも切りそうな気配があった。
「孫九郎の罪を問うというのなら、儂は黙っているわけにはいかぬ」
 床几から腰をあげ、牧官は錦を岩に突いて杖のように太刀を持った。膝立ちのまま、義範はちょっと笑みを洩らした。
「なにがおかしい?」
「海賊大将でございますぞ、それは」
「村上義弘は、太刀をこのようにするか」
「征西将軍官のなされることでは」
「儂はこれでよい」
「よく、津和地には行かれておりましたな、御所様は」
「忽那七島というが、あそこが一番性に合った。孫九郎が、兄弟のように儂を扱ってくれたからだ」
「聞いたか、重明」
「はっ、恐れ多くも」
「たわけが。儂に耳打ちでもすればよいものを」 
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■海に底力を求める

<本文から>
 「戦下手の忠高が、奮戦いたしました」
 言って、隆信は淋しげな笑みを痩せた顔に浮かべた。
 隆信の誤算は、多分それだけだっただろう。そしてそれが、貞久の命を救った。あそこに、忠高が貞久の弟の忠氏を追いこんでこなければ、たやすく首は取れたはずだ。
 「貞久は、土橋に城を築いたとか?」
 「気にしてはおらぬ。妨げようにも、思うように軍勢は集まらなかった。みんな、今度の戦で傷手を受けたわ」
 土橋城と東福寺城を結ぶ線。それによって、薩南は薩北や肥後と遮断された恰好になっている。仕方がなかった。それを破る力は、いまのところないのだ。
 「なぜ、島津は盛り返せるのであろうか?」
 「われら土豪と、守護の島津とでは、底力が違います」
「底力とは、経済のことだな。つまりは、領地だ。谷山は、島津の領地と較べると、あまりにも狭い。その谷山ほどの領地さえ、儂は持ってはおらぬ」
「経済とは、領地だけのことでありましょうか。小さな領地にこだわっていた自分を見つめ直しているうちに、それがしには見えてきたものがござる」
 隆信が軽い咳をした。
 「教えてくれ。儂はどうすれば、底力を持つことができるであろうか」
 「忽那義範殿に会われることですな」
 「義範?底力となるものが、海にでもあると申すか?」
 「わかりませぬ。しかし、陸にないものなら、海に求めるしかない、とそれがしは考え申しました」
 隆信が言うことの意味が、漠然とだが懐良には理解できはじめていた。確かに、陸にないものなら、海に求めるしかない。
 一度この城に入った冷泉持房は、再び内海にとって返した。内海の水軍を束ねるべき、脇屋義助が病死したからである。
 「どうやれば海に底力となるものがあるとわかるのか、考えてみる。それより隆信、儂は城をひとつ造ろうと思う」
 「いずれに?」
 「千々輪城の、むかいの台地じゃ。軍略では、あそこは城攻めのための対城を築くべきところであろう。そこを、わが在所となす。貞久も、うかつにここを囲めなくなる」
 「腰を据えられまするか、谷山に」
 「迷惑か?」
 「時の許すかぎり、隆信は御所様にお仕えしとうございます」
 眠が合った。時の許すかぎり。それが隆信にとってどれほど切実な一一一一口薫か、懐良は理解しているつもりだった。
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■肥前へ

<本文から>
 婚姻についても承知して、三日後に直冬は再び川尻へ戻った。
 「なにやら鋭き方ではござるが、闊達さはありませんな。まだお若いのに」
 饗庭宣尚が、直冬を見送ったあと、遠慮のないことを言った。今川直貞は、五百の兵力ですでに肥前武雄に進発している。
 「瀬踏みに来られた、というところでございましょうか」
 宣尚は、直冬が好きになれなかったらしい。頼尚は、人に対する好悪は、言葉にも表情にも出さない。そういう習慣をつけてきた。
 「今川直貞が武雄に入れば、探題では無視できますまい。肥前に兵力を集中するしかありませんな。これでわれらは、後顧の憂いなく筑後を固められます」
 「迅速にない宣尚」
 直冬は、二十五、六歳のはずだ。菊池武光も、二つ三つ上で、征西将軍宮は二十歳をいくつか越えただけだ。みんな若い。彼らから見れば、自分も一色範氏も老人であろう。
 九州にも、新しい波が立ちはじめている。このまま老いていけば、やがて若い力が自分を乗り越えていくだろう。
 それまでに、なんとしても九州の頂点を取り戻しておかねばならない。
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■九州から京に攻めのぼるか否か

<本文から>
 この機に、九州の軍勢を集めて京に攻めのぼるべきだという、五条頼元を中心とする強硬な意見があった。慎重論はそれに押されかけていたが、牧宮は奏上される意見に耳を傾けるだけで、一言も語ろうとしなかった。
 かつて尊氏が、ほとんど身ひとつで九州に落ちのびてきて、多々長浜で菊池武敏を破り、何十万とも言われる大軍を組織して京に攻めのぼった。後醍醐帝と尊氏の長い争いの最初の決着がそれであった。楠木正成は奮戦して死に、その折、武光の異母兄にあたる人も、楠木一族とともに自刃している。新田義貞は戦わずして逃げ、後醍醐帝は京を捨てた。
 あの借りを返すのは、尊氏が死んだこの時という気持が、菊池一族の中にもないわけではなかった。しかしいまの征西府に、九州の武士団を全部組織できる力があるのか。畠山を除いて全部の守護や大家族が征西府に帰属しているとはいえ、それは表面的なことだった。火種は、まだいくらでもある。
 武光は、求められると軍事的な見地からだけ意見を述べた。組織できる軍勢は九州で五万。しかしその中には、不満分子を半数以上抱える。しかも、九州は捨てる気にならなければならない。京に到着するころは、五万が十万に増えているかもしれない。兵砧は海路としてそれほどの不安はないが、それもせいぜい半年である。半年の間に足利一族と決着がつけられるかどうかは、なんとも言えなかった。
 論旨到着からさらに二日、激論が続けられた。京の情勢と、全国の反足利の武士の動向をしばらく見る、という慎重論が優勢になってきた。ひと言も心の内を明かさぬ牧官の存在が、無形の圧力になっていた。
「武光は、やはり京へ上って、天下を取りたいと思うか?」
 隈府城中の、城下を見降ろす櫓の上であった。牧宮の声は、沈んでいた。思い悩んでいたことの解決は、まだついていないようだ。
 笙子に子でもできれば気分が変るかもしれないと思ったが、その気配はなかった。笙子と阿久里以外に、女に手をつけようという気もないらしい。
「武光」
「御所様のお心次第でございます」
 促されて、武光は言った。
「友として、おまえに訊いている」
「御所様が、京を回復したいと祈念されておられるならば。しかし、いましばらくこらえてくだされい。九州では、まだ大木がくすぶっております」
「この半年、考え続けてきたことがある」
 牧官の脹が、じつと武光を見つめてきた。
「おまえひとりにだけは、言っておきたい。ほかの誰にも言えぬ」
 かすかな緊張が、武光の鉢を走った。轍治や贅固の者は、櫓の下で控えている。二人きりで登ることを、牧官が望んだのだ。
「儂は、京に上る気はない。九州を除けば、足利の世じゃ。尊氏が死んだとて、それが変るわけではない」
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■征西山肘令旨が発せられ九州が二分

<本文から>
 大宰府は、各地から参降してくる武士で溢れ返っていた。
 全九州に征西山肘令旨が発せられてから、これは少弐対征西府の戦ではなくなった。足利慕府を認めるか否か。九州の武士は、いまはじめて最後の選択を迫られていると言ってよかった。島津や一色や大友などの戦とは、根本的に違ってしまったのである。征西府に付き、形勢を見てこちらへ寝返るなどということも、この戦にかぎってはあるまい、と少弐頼尚は考えていた。武士の中でも、家の存続を第一と考える者は、兄と弟を分けて両方に出したりもしているようだ。
 軍勢の編制は、直資、冬資兄弟と、少弐武藤が中心となってやっていた。頼尚が、直接口を出すことはない。
 居室から、庭を眺める時間が多かった。女も、いまは近づけない。
 武士の参集の具合は上々だが、舌打ちしたくなることが、頼尚にはひとつあった。大友氏時が肥後後南部に兵を出したにもかかわらず、阿蘇惟村が出てこなかったのだ。惟村が出てくれば、父の恵良惟澄もこちらに付いたかもしれない。付かないまでも、いまのように大友を相手に動き回ることはなかったはずだ。
 惟村は、菊池武光に対してよほどの恐怖心を抱いたのか、何度使者を送っても動こうとしなかった。小国の城塁を、武光は瞬時にして突撃し、阿垂革の死屍だけが何百と残されていたという。菊地軍の戟ぶりと、惟村の慌てようが見えるようだった。
 二度の挟撃に、武光は嵌らなかった。そして、全軍のぶつかり合いということになった。最後には、こうなると頼尚は肚を据えていた。ただ戦は、戦場だけで行うものではない。戦場の兵の損耗を少なくするために、できるかぎりの策を講じるのも戦のうちなのだ。
 まだ戦がはじまったわけではなかった。
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■九州がひとつの国に

<本文から>
 「九州が、国になっている。ひとつの国にな。壱岐も対馬も、それに入っておる。高麗から、月王丸と南浦がその国に高麗も加えてくれと訴えておった。眠って見た夢ではない。しっかりと脹醒めて見た夢だ」
 「そうでどざいますか」
 「夢を語れる友がいる。儂はいま、それが幸福だと、しみじみと思う」
 武光は、一度細調いただけだった。
 すでに夕刻で、魔の蝉の声が、いっそうかまびすしくなっている。
 懐良は眼を閉じた。はじまる。新しく、なにかがはじまる。波が打ち寄せるように、その思いが、くり返し何度も懐良を包みこんだ。
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