雪斎(せっさい)(1496〜1555)今川家の参謀

  明応五年(1496)今川家の重臣庵原左衛門尉の子として生まれる。幼い頃より寺で学問を修めていたが十四歳のとき京都・建仁寺に入り、出家得度する。主君今川氏親の指名により、五男方菊丸の養育係となる。菊丸は寺に預けられ禅僧となるはずであったが、長兄氏輝と次兄彦五郎が急死してしまい、今川家の家督はともに寺に入っていた三男と五男の争いになった。方菊丸は氏親の正室の子だったので、正室のバックアップを受けて後継争いに勝ち、還俗して今川義元と名釆る。
 ここで養育係の任務はお役御免となるはずであったが義元は雪斎を手放さなかった。しかも、単なる相談役という範囲をこえて、総大将として今川軍を率いて出陣もしている。織田信秀との戦い、武田・北条との三国同盟でも中心的な役割を果たしていた。義元が桶狭間で戦死したのは雪斎の死後五年目である。

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