浅井長政(1545〜1573)

浅井長政  浅井氏は、長政の祖父の代に守護京極氏の内紛に乗じて、近江北部に勢力圏を獲得した。以後、江南の六角氏との戦いに悩まされながら越前朝倉氏の支援をうけて領国の形成していく。永禄十年(1560)六角氏との戦いに敗れた父久政にかわり、長政は重臣に押されて16歳で当主になった。永禄十年に織田信長が美濃を平定すると妹のお市を正室に迎える。翌十一年、信長の上洛に際しては彦根で参陣した。
 しかし元亀元年(1570)、信長が長政との約束を破って朝倉攻めを開始。友好関係を重んじる父らに押され朝倉方に立ち兵をあげる。六月、姉川の合戦で浅井勢は織田勢を相手に善戦するがついに敗れた。
 義兄信長を裏切り、姉川の戦いの敗戦以後、小谷城に寵っていたが、頼りの朝倉義景も滅ぼされた天正元年(1573)、信長の総攻撃を受けた。信長の降伏勧告を退けた長政は、妻お市と三人の娘を信長の陣に送り届けて、父久政とともに小谷城で自害した。この三人の娘はのちに、長女は秀吉の側室淀殿、二女は京極甘桝次の妻、三女は徳川秀忠の妻となった。
 信長は死後も浅井父子の裏切りを許さず、彼らのドクロを金泥で彩色して酒宴の肴にしたという。

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