童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          勇者の魅力

■上杉鷹山−財政改革の決め手は心の改革

<本文から>
それが二代目のときに、一二〇万石に減り、さらに関ケ原の合戦で徳川家康に敵対したため三〇万石に減らされた。四代目の相続人問題でゴタゴタが起こり、この時にまた一五万石に減らされた。昔から比べると一〇分の一以下の規模に縮小された。
 にもかかわらず、米沢藩ではリストラを行わなかった。つまり謙信時代の人員、行事、事業いろいろな習わしなどすべて持ち込んだ。これではやっていけるはずがない。したがって、鷹山が九代目の藩主になったときは、完全に財政破綻を来たし、文字どおり火の車の上に乗っていた。高鍋からやってきた鷹山は、まず、
 「藩財政の立て直し」
を行わなければならなかった。
 鷹山は、財政再建に対してこう考えた(用語は現代風)。
 「財政再建は、単に帳簿面に表われた赤字を克服すればいいというものではない。前バブル時代の悪影響を受けて、今は、この国に住む人々は他人のことを考えず、自分の目先の利益しか追求しない。これは、いってみれば人間の心に赤字が生じているということだ。この克服をしなければ、城の帳簿の赤字を解消したところで何の役にも立たない」
 そして鷹山は、論語の「水は方円の器に従う」という言葉で、水を住民、方円の器を環境と考えた。
 「住民が心に赤字を生じているのは、生活環境が悪いからだ」
ということである。生活環境を人間の住む容器と考えたのである。
 そこでかれは、
・財政再建の究極の目的は、この国の生活環境を向上させることだ。
・そのためには、思い切った仕事の見直しと大倹約が必要になる。
・しかし、ただ倹約一辺倒では働く人々が希望が持てない。増収策も必要だ。
・増収策を行うのには、この地域の手持ちの資産を最大限活かすことだ。手持ちの資産を活かすということは、資産に含まれている可能性を外き出すことだ。
・それでなくても米沢は東北なので、北限の適用を受ける。暖かい国でできる木綿、みかん、お茶、ハゼ(ローソクの原料)などができない。これらは輸入しなければならない。
・そうなると、ここでできる品物を高価値化する工夫がいる。
 そう考えたかれは、
 「そういう一連のいとなみができるのは、なんといっても人間だ。人が決め手だ」
と考えた。しかし、この"人が決め手だ"ということがわかっても、人間の行いを妨げる壁が三つある。
・物理的な壁(モノの壁)
・制度的な壁(仕組みの壁)
・意識的な壁(こころの壁)
である。このうち、最も変え難いのが三番日の(こころの壁)だ。先例尊重、先入観、固定観念などである。そこで鷹山は、
 「経営改革はまず、一人ひとりの心の改革がスタートになる」
と考えた。かれは、
 「こころの壁を破壊するためには、何といっても研修が必要だ」
といって、興譲館という学校をつくった。藩の研修所である。普通リストラといえば、三Kといって「会議費・広告費・研修費」などを節約するが、鷹山は逆だった。
 「財政難のときこそ、研修を強化すべきだ」
といった。輿譲館というのは、
 「譲るという人間の美徳をもう一度興そう」
ということである。「大学」という古い本に書かれている。かれは、家臣全員にこういった。
・トップは米である。
・ミドルは釜である。
・ロウワー(一般の従業員)は薪である。
 「どんなに米がいい種類であろうと、また薪がオクタン価が高く完全燃焼しても、肝心の釜が割れていたら、決してうまい米は炊けない」
というたとえであった。

■民の昼寝に励まされる織田信長

<本文から>
 「あいつはとんでもないやつです!」
「なぜだ?」
馬を止めた信長が聞く。武士はこういった。
「この国の領主さまが命がけの戦いに出て行くというのに、あいつは呑気に昼寝をしています。許せません」
「かれは農民だ。われわれは武士だ。それぞれ仕事に役割分担がある。今はきっと暇なのだ。きょうは陽気が暖かいから気分がよくて、眠ってしまったのだろう。放っておけ」
「そうはいきません」
武士の怒りはおさまらない。バラバラと畑の中に駆け込もうとした。
「どうする気だ?」
信長が開いた。武士は振り返っていった。
「血祭りに殺します!」
「バカなことはよせ」
信長は笑って武士を止めた。
信長は、武士に向かっていった。
「おれは前の拠点の岐阜にいたときに、兵士と農民の区分を行った。それまでは、農民を兵士として動員していた。他の大名は、まだそうしている。おれが、兵士と農民を分けたのは、農民は農村にいて最後まで農業に専念してもらいたかったからだ。兵士として動員してしまうと、農業がおろそかになる。同時に、合戦も農閑期にしか行えない。農繁期になると戻って来なければならない。だからおれは農と兵を分離したのだ。あの土の畑で寝ている農民は、自分の仕事を怠っているわけではない。仕事が終わったから、昼寝をしているだけだ。放っておけ」
「そんなことをいっても、胸が収まりません」
武士はいい募る。信長はもてあました。しかし、いつも短気な信長に似合わず、このときはニコニコ笑いながらその武士にいった。
「おれは、おれの国でああいう光景を見るのは好きなのだ」
「…はあ?」
いきりたっている武士だけでなく、まわりにいた武士たちもみんな信長を見た。怪訝な表情をしている。信長がいった言葉の意味がよくわからなかったからである。
「ああいう光景を見るのは好きだとは、どういうことですか?」
農民を殺すと息巻いている武士が聞いた。信長は答えた。
「さっきいったように、農民と兵士とは別な役割分担をしている。おれたち武士は、農民がああいうように、ときには呑気に昼寝ができるようにしてやるべきだ。あいつがグーグー高いびきで寝ているのは、おれたち武士が役割を果たしているということになる。領主としてのおれを信じきっているからこそ、ああいう居眠りができるのだ。おれはあいつの昼寝に逆に励まされるよ。おれも決して間違ってはいないとな」
「・・・?」
武士は眉を寄せた。考えた。次第に信長のいうことがわかってきた。まわりを見回した。みんなうなずいていた。ニコニコ笑っている。信長も笑った。
「よし、それでは進もう」
信長は全軍に向かって命令を下すと、高々にいった。
「あの畑の上で寝ている農民たちのためにも、おれたちは今度の戦に勝たなければならない。いいな?」
「はい!」
全軍がいっせいに声を上げた。信長のいった、この国では農民の昼寝が武士を励ましているという言葉が兵士たち全員を大きく勇気づけたのである。信長の意外と知られていない一面だ。かれは民に対し温かかった武将である。

■立つ鳥あとを濁さず−柴田勝家

<本文から>
「前田殿、一長年わたしの与力を務めてくださって大いに助かった。しかしすでに信長公は今は亡き身だ。信長公が命ぜられたおぬしの与力の職も、当然信長公の死によって消えた。賤ケ岳で敗れたわたしは、北ノ庄城に戻って秀吉ともう一戦構える。が、おぬしはすでに自由だ。進退は思うままにしてほしい」
 利家は思わず勝家の顔を見返した。その表情の底には、かなり苦悩の色が浮いていた。それはこの城に来たときからまつに懇々と、
「このうえは、秀吉さまにお味方なさい」
と迫られていたからである。まつと秀吉の妻ねねとは柿妹のように仰がいい。そんなこともあって、まつは、
「前田家の将来のためには、秀吉さまに味方すべきです」
と説きつづけた。利家は律義な性格だから、
「そんなことはできない。おれは信長さまから、柴田殿の与力を命ぜられている身だ。たとえ賤ケ岳の合戦に敗れたとはいっても、柴田殿を見捨てることは武士の道に反する」
と反対していた。まつは現実的だから、
「そんな固いことをいっていると、この世の中では生きぬけませんよ」
と茶化すようにいう。しかし茶化すようないい方はしても、心の中では本気で、
「柴田さまを見捨ててほしい」
と願っていた。そんな前田夫妻の立場は、柴田勝家にはよくわかる。普通の考え方をする武将なら、
「憎い秀吉に一矢報いるために、自分に味方する者は全部北ノ庄城に連れて行こう」
と考えるだろう。ところが、勝家は逆だった。「立つ鳥あとを濁さず」ということばが自分の人生信条として生きていた。
「できるだけ身軽になって、他人に迷惑をかけまい。飛び立つ鳥が、自分の今までいた巣をきれいに掃除して行くようなものだ」
と考えていた。だから、これから将来のある前田利家を巻き添えにして、自分と一緒に北ノ庄城で殺すような真似はしたくないと思っていた。
(北ノ庄城では、おれと忠実な部下だけが死ねばいい)
と考えていたのである。

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