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<本文から> 「おれは源氏軍の軍監だ。それに、頼朝公から義経殿の行動を監視するように命ぜられている」
という意識があった。したがってかれの考えでは、
「義経軍はあくまでも分遣隊であり、本軍はおれの率いる軍勢だ」
と思っている。しかし前にも書いたように、義経軍の部下たちは、義経に対する絶対的な忠誠心を持っており、その意味では、
「心の結束」
が強い。常に打って一丸となって行動を共にする。その団結カは際立っていた。その代わり、自分たちと同じような行動をとらない軍勢に対しては批判的だ。梶原景時はそういう視線に晒された。義経の部下たちは景時を嘲笑った。
「平家物語」には、
「法会に間に合わぬ花、六日のあやめ、けんかすんでの棒ちぎり(喧嘩道具)」
と嘲笑された。いずれも、
「遅れた間抜けな存在」
という意味である。権勢欲が強いということはそれだけ誇りが高い。自ら頼む気持ちが強い。景時はその典型的な人物だ。この嘲笑を黙って受けたが、腹の中は煮えくり返った。そしてその怨念の対象がすべて義経に集中した。
「おのれ義経め」
と憎悪の炎を燃やした。
(いつか必ずこの報復をしてやる)
と心に誓った。こういう人物にとって、憎悪すべき対象を常に設定しておくことは、それだけ自分のやる気を燃え立たせる動機になる。梶原景時は、
「他人を憎むことによって自己存在の証しを立てる」
という人柄だった。したがって、人を愛するとか、哀れむとかというもののふの哀れなどかけらもない。義経の部下たちに嘲笑された景時は逆に義経に食って掛かった。 |
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