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<本文から> 「越前藩の政治はどうあるべきでしょうか?」
「それは単に越前藩のことだけを考えても回答は出ない。まず日本全国を統治するにはどうしたらいいかという発想から、越前藩のことを考えるべきだ。
日本全国をどう統治すればいいかということは、今度は世界万国の統治はどうあらねばならないか、という考え方に行き着かなければならない。
逆に言えば、世界万国の政治を考えることによって、日本全国の政治を考えることができる。そしてこの流れの一環として、越前藩の政治はどうあらねばならないかと考えるべきだ」
「越前藩の家臣としての私は、まずどのような考えに立つべきでしょうか?」
「およそ国を治めるというのは、すなわち民を治めることだ。武士は民を治めるための道具にすぎない。その道具である武士は、演が武士と共に仁と徳の道を守るような方向付けを与えることが必要である。
しかし、これは意外と難しい。というのは、聖人(孔子のこと)も″衣食足りて礼節を知る″といわれている。衣食が不足していては、礼を守ることもできない。ということは、政治の道具である武士が、民を富ませ、その衣食を足らせるような方策を講じなければ、民に『仁と徳を守れ』というようなことを求めても、これは単なる精神教育や押し付けに終わってしまう。
従って、民が仁と徳をわきまえるためには、まずその衣食を十分に足らせることが必要だ。
武士は、そういう方途を講ずるべきだ」
小楠の回答は普通の武士とは違っている。当時もまだ、「士農工商」の身分制が明らかだった。
士農工商というのは、儒教から来た考え方で、
◆武士は、政治や行政を行う存在
◆農民は、日本国民の食料その他の生産に従事する存在
◆工、すなわち技術者は、農民が使う工具や、国民の生活用具を生産する存在
◆商人は、自らは何も生産せずに、他人の生産したものをただ動かすだけで利益を得る存在
というように考えられた。従って、この考え方では、「自ら何も生産しない商人は、社会の最劣位に置くべきである」と一番下に位置付けられてしまったのである。
しかし、小楠はそうは考えない。彼は心の中で恐らく、「士農工商というのは、身分制ではなく職業の区分だ」と考えてた。 |
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