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<本文から>
改革の実行者は得てして、
「大幅な組織改善と人事異動」
を行いたがる。しかし吉宗は決してそんなことはしなかった。彼が将軍になったとき、江戸市中で現在で言う学識経験者たちが集まってこんな話をした。
「今度将軍になられた吉宗公は、名君だろうか暗君だろうか」
この問いに対し、ある学者がこう答えた。
「吉宗公が名君か暗君かは、吉宗公が和歌山城からお連れになった腹心をどう扱うかによる。もしも和歌山城から連れてきた腹心たちを幕府の要職に就けるために、大規模な組織改革を行ったり人事異動を行ったら被は暗君だ。しかし幕府の現在の組織や人事をそのままご活用になり、和歌山城から連れてきた腹心たちもそれほど高いポストに就けなければ名君だ」
では吉宗はどうしたか。彼は幕府の組織と人事にほとんど手をつけなかった。そのまま活用したのである。わずかに行った人事異動は二つある。一つは前に書いた伊勢山田奉行の大岡越前守忠相を江戸町奉行に登用したことである。もう一つは、大奥で多少のリストラを行ったことだ。彼は江戸城に入るとすぐ人事担当の役人に、
「大奥にいる女性の名簿を作れ。それも美しい女性の名簿がほしい」
と告げた。おそらく人事部長は腹の中で、
(エッチな将軍だ。入城早々今夜から美人を順にお相手をつとめさせる気だな)
と感じた。しかし将軍の命令なので名簿を作って差し出した。ところが吉宗は見向きもしない。
「見る必要はない。その名簿に書かれた者は暇を出し親元に帰せ」
と言った。役人はびっくりした。
「なぜでございますか」
と聞いた。吉宗は笑ってこう答えた。
「美しければ嫁入り先にも困るまい。そうでない者は少し時間がかかろう。それまでゆっくり務めてもらえ」
「…!」
役人は唖然とした。しかし同時に、
(今度の上様は油断がならない)
と感じた。美しければ嫁入り先にも困らず、そうでない者には少し時間がかかるというのは相当下情に通じた人間の言うことだ。吉宗は和歌山藩主であったときにすでにそういう下情に十分通じていたのである。人事担当の役人は緊張した。それは、
(これからもこのような指示が次々と出るに違いない)
と直感したからだ。 |
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