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<本文から> なぜ鳥居耀蔵がこれほどまで、
「復古と士道作興」
に入れ込んだのかといえば、理由はかれの出身にある。
かれの父は、幕府の大学頭林述斎だ。名を衡といった。しかし林家の出身ではなく、出は美濃(岐阜県)岩村藩主松平家だ。家は二万石の石高だった。歴とした大名の息子だ。縁あって林家の養子になり、幕府の大学頭になった。そのころ林家が経営していた昌平坂学問所は、現在でいえば私立大学である。たまたま林述斎が大学頭を務めた頃の老中首座は松平定信(白河藩主)だった。定信は八代将軍徳川吉宗の孫だが、吉宗を非常に尊敬していた。白河藩主としての行政が非常に行き届き、愛民の思想に満ちていたので、世論は定信が中央政治の責任者になることを望んだ。 |
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