童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          妖怪といわれた男 鳥居耀蔵

■鳥居耀蔵は復古と士道作興を入れ込んだ

<本文から>
なぜ鳥居耀蔵がこれほどまで、
 「復古と士道作興」
に入れ込んだのかといえば、理由はかれの出身にある。
 かれの父は、幕府の大学頭林述斎だ。名を衡といった。しかし林家の出身ではなく、出は美濃(岐阜県)岩村藩主松平家だ。家は二万石の石高だった。歴とした大名の息子だ。縁あって林家の養子になり、幕府の大学頭になった。そのころ林家が経営していた昌平坂学問所は、現在でいえば私立大学である。たまたま林述斎が大学頭を務めた頃の老中首座は松平定信(白河藩主)だった。定信は八代将軍徳川吉宗の孫だが、吉宗を非常に尊敬していた。白河藩主としての行政が非常に行き届き、愛民の思想に満ちていたので、世論は定信が中央政治の責任者になることを望んだ。

■品行が良くても品性が悪い人間は許されない

<本文から>
 ・どんなに品行が悪くても、品性の良い人間は許せる
・しかし、どんなに品行が良くても、品性の悪い人間は卑しむ
というものである。このモノサシをあてると、矢部定謙は明らかに、
 「品性の悪い人間」
だ。品行もあまり良くない。しかし、大坂や江戸で名奉行といわれるからには、それなりの、
 「他人への影響」
 があったことは確かだ。そして、矢部は苦労して来た低身分の出身だから、勘定奉行という要職に至るまでには、それなりの裏街道を歩いて来た。えげつないこともしたに違いない。だから普通ならそんなことは他人にいわない。黙って自分の胸の奥にしまっておく。それをあえて他人に告げるというのは、
 「自分が低身分出身だという立場に甘えている」
としか耀蔵には思えない。はっきりいえば、
 「低身分出身を売り物にしているのだ」
ということになる。美濃の岩村藩主松平家の流れをくむ耀蔵には、やはり、
 「おれは大名の出身だ」
という誇りがある。この誇りがそのまま品性を養う。したがって耀蔵は、
 「俺は世間的にはかなりえげつないことをしているのだから、品行は悪いと言われても仕方がない。が、人間の根本である品性は決して他に引けを取らない」
という自信を持っていた。だから矢部が親しくなった人間に必ず、
 「自分は立身するために、要路の人に金品を贈ってきた」
と、あからさまに、
 「金品で今のポストを買った」
などという露悪趣味を示すと鼻持ちならなくなるのだ。

■志を実行するための道程での悪行は許される

<本文から>
「志を実行するためには、そこへ到達する道程での悪行は許されるべきだ」
という言葉は水野にも当てはまる。また耀蔵にも当てはまる。いや、耀蔵の見たところ、
「幕府にいる高級役人はすべて同じだ」
と思える。みんな、
「目的のためには手段を選ばない」
という生き方をしているのだ。つまり、この世は人間の世の中であって、神や仏の世の中ではないということである。

■権謀術策で矢部を処分させる

<本文から>
 つまり、矢部の処分は大塩平八郎の一件だけでは済まさないぞ、という気持ちが湧きあがったのである。これに拍車をかけたのが、水野の矢部に対する悪感情だ。おそらく水野は矢部の存在を煙たがり、できればどこか遠隔の地に飛ばしたがっているに違いない。なまじつかなポストに置いておいたのでは、矢部は今までと同じことを続けるだろう。
(酒井家からの賄賂の話で、矢部は味をしめたはずだ)
耀蔵はそう思う。そこでかれは、
(やるなら、徹底的にやらなければだめだ)
と思った。そのために、古い仁杉五郎左衛門の話を蒸し返したのである。水野はこれを受けた。そして矢部に、
「改易(家は断絶、知行は没収)のうえ、桑名藩松平家に預ける」
という判決を下した。江戸城内は驚いた。廊下雀があっちでひそひそ、こつちでひそひそと噂をした。噂に共通するのは、
「軽い罪に対し、余りにも重すぎる罰」
ということであった。桑名の松平家では迷惑に思った。それもあってか、桑名城に行った矢部定謙は、一か月後に死んだ。事実上の自殺である。それは、文字通り、
 「預け人に対しては、米塩通ぜず」
をかれ自らが求めたからである。提供される食事は一切拒否した。そして、一か月後に餓死した。
 人間というのは、円のようなものだ。いろいろな角度から光を当て得る。つまり自分なりにその人物を解釈する。そのため、その人物を好きな人間もいれば嫌いな人間もいる。評価する人間もいればしない人間もいる。矢部定謙は、水野や耀蔵にとっては、
「好ましからざる人物」
だったが、逆に、
「矢部は立派な人間だった」
と見ていた人も大勢いた。こういう連中は水野のやり方に、
「非情だ」
といった。そしてそのきっかけを作ったのが目付の鳥居耀蔵だったので、
「鳥居は陰険で、常に人の小さな悪事を暴露告発し、それも古い時代のどうでもいいようなことを、改めて問題にする権謀術策に満ちた人間だ」
といわれた。が、輝臓は平気だった。

■幕府権威回復のためにソロバンより政策を立てる

<本文から>
 「おれが水野様のご改革に進んで協力したのは、前にもいったように徳川幕府の権威を回復することにあった。そのためには、まず政策を立てなければならない。その後でその政策を実行するには、どのくらい金がかかるかということを勘定所がはじき出す。ひとつひとつの政策について、これを行なうのにはこの位かかるから、こっちを削らなければ全体の収支が合わない、というのがすなわち財政だ。しかし今の幕府は逆だ。つまり、先にソロバン勘定があって、勘定に合わない政策は次々と切られてしまう。これがいつの間にか、ソロバン勘定所が幕政を主導するようになってしまった大きな原因だ。おれは水野様と相談をして、これを逆転させようと企てた。つまり、まず政策ありき、そして次に財政ありき、というように徳川幕府政治のあり方を大きく転換するのが目的だった。しかし必ずしもそうはいかない。というのは、藤田東湖がご主君斉昭様に出した手紙に書かれているように、ソロバン勘定所の連中が生意気にも、水野様を支持するとかぬかすからだ。そういう空気を江戸城はつくりあげてしまった。だからおまえたちのいうように、ソロバン勘定所の役人どもが、水野様がご改革に失敗したときには、上様(将軍)が引導を渡す前に、自分たちの手で更迭してしまうなどというホラを吹く。しかしこういうホラを吹かせるほど、江戸城の空気はソロバン勘定に傾いている。水野様以外の御老中や、幕府の要職にある連中も、すべて勘定所の機嫌を伺って、何とか自分のところに金を取ろうとする。今の幕府は算盤が優先される。嘆かわしいことだ。ソロバン勘定に理念はない。しかし政策にはそれがある。だからこそおれは、まず政策ありき、そして次に財政ありきにしたかったのだ。わかるか?」
 そう告げた。若い武士たちはかなり緊張して耀蔵の話を聞いていた。辻一蔵がぽつんと呟いた。
「武士は食わねど高楊枝、か」
耀蔵が鋭い視線を辻に投げた。頷いた。
 「そのとおりだ。しかしそれは金のない武士の痩せ我慢や負け惜しみでは決してない。理念を貫く政策主導の姿勢をいうのだ」
若い武士たちは沈黙した。耀蔵は続けた。
 「おれがここまで政策主導にこだわるのは、理念ある政策を展開することによって、前にも話したことのある、この国が″有道の国”になり得るからだ。古代に聖賢を生んだ中国が、エゲレスをはじめ外国列強に侵略されるような体たらくは、すでにあの国に聖賢の道が絶えたということに他ならない。今世界で聖賢の道をきちんと保っているのはわが国だけだ。これを最大限に活用して、わが国こそ”有道の国″すなわち″聖賢の国″になれば、いかに暴逆を極める諸列強も見方を改めるはずだ。それが、わが国のたくまざる国防カに繋がって行く。天保の改革はそれを目指したはずだ。それが本当の壊夷なのだ。ところが見てみろ、その後アメリカからペロリ(ペリー)がやって来た直後、ペロリの恫喝に負けて幕府はづいに開国に踏み切ってしまう。そしてその時の交渉に当たったのも、勘定所出身の役人が多い。ソロバン勘定で外交を考えている。国体の保持などという理念はかけらもない。幕府を衰退させ、ついに滅ぼしたのはすべてソロバン勘定所の連中だ」

■遠山との人間的の差を逆恨み

<本文から>
  脇で鳥居が声をたてた。不満がてっている。が、水野はジロリセそんな鳥居を制するように睨み付けた。鳥居は怯んだ。水野は遠山を見た。
 「それでよいか」
 「有り難きご仁慈」
 そういって遠山は平伏した。そんな二人のやり取りを見ながら、鳥居耀蔵はにわかに孤独になった。自分を絶対的に信頼していて、遠山など歯牙にもかけないはずだと信じていた水野が、今は完全に遠山の手中にある。それだけでなく、高屋彦四郎の死を賛美する点では、完全に一致している。近頃珍しい、
 「主従の信頼感」
とけっていい美しさがある。そんな二人の心の行き通いに、鳥居耀蔵はたまらない嫉妬心を覚えた。嫉妬心は憎悪に直結する。鳥居耀蔵の胸の中は煮えくり返った。しかし、根本的に忌々しいのは、遠山の粋な処分だ。水野を感嘆させた、
 「高屋家から柳亭種彦という同居人を追い出せ」
 という言い方は、実に花も実もある話だ。鳥居耀蔵も正直にいって、
 (おれにはとてもそんな知恵は湧かない)
 と思う。これは苦労人の遠山と、
 「人を裁き、責め立てること」
 だけに狂奔している鳥居耀蔵との根本的な人間差なのだが、鳥居はそんな風には思わない。
「遠山は汚い手を使いやがった」
 と曲解する。改革推進に血道を上げる鳥居にすれば、
「目的を遂行するためには、おれが採っている方法以外ない」
 と思い込む。つまり目的設定だけではなく、その目的を達成するための手段もすべて自分と同じでなければならないと考えるのだ。鳥居にすれば自信だが、他人から見れば思い上がりだ。その辺が鳥居煙蔵にはよく分かっていない。

■老中水野との信頼が離れた原因を遠山に向ける

<本文から>
  南町奉行である自分よりも北町奉行である遠山の方に、少しでも水野の信頼が傾いたと見れば、鳥居耀蔵はすごく僻むし、また相手を憎む。究極的には、上役である水野を恨むわけにはいかないので、水野に対する憎悪の分は当然遠山のそれに加算される。遠山こそいい面の皮であった。
 しかしいま思えば、
 (あの頃から、おれの水野様への忠誠心が少しずつ薄れていった)
 ということは実感としてわかった。今、年月を隔てて熱が冷めてみれば、あの改革に没入していた頃の情熱はすべて、
「水野御老中から信頼されている」
 という実感に基づくものだった。それも、
「おれだけが、他の連中よりも抜きん出て水野様に信頼されている」
 という認識と誇りがそうさせていたのだ。それが、『修紫田舎源氏』の処分のときに、翳りが差した。だけではない。水野と自分を隔てる一条の冷たい川が横たわった。しかし鳥居にすれば、
「そういうように仕向けたのは遠山だ」
 と思う。逆恨みなのだが、絶対的自己信仰に燃える鳥居にすれば、
「すべて遠山が悪い」
 ということになる。

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