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<本文から> つまり、徳川企業におけるCIはあくまでも「信頼されること」であり、それを保持するための戦略を彼は駆使したのだ。
戦略というのは、
○いったん世間に湧いた「徳川家康は信用できる」という評判を、家康だけでなく、家康の部下全員が自分の責任として保持していくこと。
○徳川家がどんな危機に陥っても、信頼を失うようなことだけは絶対にしないこと。
○そのためには、家臣団がほかの大名家に見られないような結束力を持つこと。つまり、家臣同士が強い信頼感でスクラムを組むこと。
などであった。しかし、信長の破壊期、秀・吉の建設期は、割合にリーダーシップも取りやすい。信長は、ダソプカーのような管理を行ない、そのリーダーシップは″恐怖″を使った。秀吉は、現場のモラールを上げることに力点を置き、いきおい、ニコボン戦術(笑いながら肩を叩き、巧みに味方に引き入れること)や褒美のばらまきで部下たちのモラールを高めた。そこへいくと、維持管理期の戦略やリーダーシップは難しい。
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