童門冬二著書
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          武田信玄・危機克服の名将

■臆病者には臆病者の役目がある

<本文から>
この岩間大蔵左衛門は、父の信虎のころから仕えていた武士だ。が、臆病で絶対に戦場には行かない。
「わたくしは合戦が嫌いです」
といって、供をしない。あきれた仲間が、岩間を無理やり馬の背にくくりつけようとすると、必死になってあばれる。
「死ぬのは嫌だ! 嫌だ、許してくれ!」
と大仰にわめき声をあげる。父の信虎は怒って、
「こんな臆病者は殺してしまえ」
といったことがある。そのとき、
「いや、臆病者には臆病者の使い方がございましょう」
と、岩間の身柄を引き受けたのが晴信だ。信虎は晴信が嫌いだったから、
「きさまは余計なことをする」
とムチを振り上げた。晴信は甘んじて岩間のかわりに父の打を受けるつもりでいた。父もあまり大人気ないと思ったのか、ふんと横を向くと、
「勝手にしろ」
と岩間の始末を晴信に任せた。
以後、晴信は岩間に似つかわしい仕事を与えた。晴信はのちに、
「われ人を用うるにあらず、人の能を用うるなり」
といっている。どつちとも取れることばだ。
「オレは人間を使うのではない。人間の能力を使うのだ」
という裏には、
「第一印象で、その人間を決めつけるな」
ということがある。だから岩間大蔵左衛門のような臆病者にも、
(かならずどこかに長所があるはずだ)
と思っていた。晴信がその後、岩間にいいつけたのは、
(留守居)
である。父の信虎に率いられた武田軍が躑躅ケ崎の館から出陣したあと、
「館の管理をきちんとおこなえ。また使用人をよく監督しろ」
ということであった。

■内部結束のために川の改修工事をした

<本文から>
 (釜無川の治水工事など、なにや国主が先に立ってやるほどのことはない)
と思っていたからだ。
(国主にはもっとやることがたくさんある)
と感じていた。ところが晴信は、自信をもって、
「武田家を相続した晴信が最初にやる仕事は、釜無川の改修工事だ」
と宣言したのである。ふたたび諸将たちは顔を見合わせた。このとき信繋がいった。
「かつて、身延山におられた日蓮上人はその『立正安国論』において、自界叛逆と他国侵逼の二つを日本国の国難としてあげられた。今武田家が遭遇しているのも、このいわば自界叛逆と他国侵逼という内憂外患だと思う。兄は、それを一挙に解決するためには、内憂と外患を別々に処理するのではなくともに片付けることが肝要だと考えておられる。それには、父信虎には不可能だった、この国に住む人々の心をつかむことが、肝要な道だとお考えなのだ。おわかりいただけるはずだ」
そういい切った。諸将たちは、思わず信繁を凝視した0それぞれ心の中で、
(中略)
「内部の結束を囲めた上で、最初の事業として釜無川の改修工事をおこなう」
と宣言した。が、この日集まっていた諸将は、その釜無川の改修工事が何を意味するのかまでに、完全に見抜くことはできなかった。武田晴信はこの日弱冠二十嘉である。その若さにしては、余人では到底考えられないような、
(人事管理の恐ろしい野望)
を胸の中に秘めていたのである。そしてかれが、
(小さな本社・大きな現場)
 として、自分の居館は極力小規模にし、諸将の守る砦や支城を拡大すると宣言したことの裏に
(諸将は、分権された城や砦を守るのに全力を尽くせ。多少のことがあってもすぐ躑躅ケ崎の館に駆け込んでくるな)
 と、それぞれにおける、
(自己完結)
を求めており、さらに、
「その拠点において起こったことについては、オレと同じ責任をもて」
と告げたのである。

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