童門冬二著書
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          高田屋嘉兵衛のすべて

■私的次元から公的次元へ

<本文から>
  現代でもおなじだが、指導者とか経営者とかすぐれた政治家などには必要な条件がある。それは「先見力・情報力・判断力・決断力・行動力・体力」などだが、このほかにどうしても欠くことのできないものがある。それが、
 「あの人のためなら″といわせる、その人″らしさ″」
 のことだ。他人になら″と思わせるらしさ″のことを「風度」というのだそうだ。あまりきき慣れない言葉だが、中国文学者にきくと中国に古くからある言葉だという。高田屋嘉兵衛はおそらく
 この風度″が非常に高かったにちがいない。嘉兵衛に会った人間は必ず、
 「この男のためなら、一肌脱ごう」
 という気にさせられてしまう。北風家の主人や栖原屋角兵衛、あるいは箱館の廻船問屋白鳥屋なども、みんな嘉兵衛に接したときに、不思議なオーラを感じ、
 「この男なら、絶対に間違いない」
 という信頼感を抱いたのだ。淡路島の生地を出た嘉兵衛は、兵庫の廻船問屋にいって一水夫になった。北前船に乗った。そして北方の産品を大坂に届け、大坂に集められた西方の産品を北方に届ける。この繰り返しをしているうちに、嘉兵衛は、
 「日本の国にも、北限と南限がある」
 ということを知った。つまり、物によってはある地域まではできるが、そこを越えるとできない産品がたくさんある。たとえば東北地方では木綿・お茶・みかん・ロウソクなどはできない。しかしこれは生活必需品だ。そうなると、そういう地域に住む人びとは、
 「誰か奇特な人が、そういう品物を運んできてはくれまいか」
 と考える。憲兵衛は北方へそういう品物を運ぶたびに、いかにそれらの地域の人びとが眼を輝かせてよろこぶかを知った。嘉兵衛はこの表情をみるたびに、
 (おれは自分が儲けたいためにこんな仕事をはじめたが、運ぶ品物をこんなによろこんでくれるとは思わなかった)
 と感じた。つまりかれが北方へ品物を運ぶたびによろこぶ人びとの顔をみていると、自分がやっている仕事は、単に儲けだけではなく、
 「誰かさんをよろこばせるためにおこなっているのだ」
 という自覚が湧いてきた。これがいうところの公共精神″の発生だ。嘉兵衛はしだいにこの感じを増やし、たしかなものに固定していった。
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