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<本文から>
井伊大老が断行した安政の大獄は、実をいえば幕末維新史の展開に重大な意味を持っている。
それはなんでもそうだが、世の中が変革されるときは、
●個人の有識者が批判の説を唱える
●この批判の説に共鳴した人びとが、グループをつくりはじめる
●グループは行動をはじめる
●つまり個人の主張がグループという組織に変化していく
●そしてこれが強烈なパワーを生み、さらに拡大強化されていく
というプロセスをたどる。井伊大老の安政の大獄は、このプロセスの進行を止めてしまった。
つまり、
「個人の組織化」
が、強化拡大される前にその芽を摘んでしまったのである。したがって、その後の倒幕運動は、個人や小グループの活動は日立たなくなる。代わって進出してくるのが、西南の雄藩だ。だから最初にいまでいうオピニオンリーダーたちが唱えていた主張は、とりこまれたことになる。明治維新はいうまでもなく、
「西南雄藩の組織としての迎合による連合王組織」
である。幕末に芽生えた、
「個人としての有識者の連合組織」
が功を奏したわけではない。そう考えると、井伊の安政の大獄はいわゆる個人の志士たちに、
「誰も頼りにならない」
という絶望感を与えた上で非常な効果があった。井伊自身が嫌った、
「処士横義の芽」
は個人レベルにおいては完全に摘まれてしまったからである。その後は、
「雄藩の志士と志士の連合」
が代わって時代のイニシアティブをとりはじめる。 |
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