|
<本文から>
のちに″伊達者”といわれるようなダンディズムは、すべて政宗が発明したものだ。彼の軍勢は行進するとき、常にきらびやかな服装をした。彼の軍勢が上洛すると、市民たちは、家の中から飛び出して見物するのを楽しみにした。
”伊達衆”の名が起こった。何をやっても伊達の軍勢はパフォーマンス活動に励んだ。政宗が、上方権力に対抗しながら、しかし、逆らわずに生きていく道が”伊達イズム”であった。それは、織田信長に発する「衣食足りて文化を知る」の実現であった。
安土・桃山精神は政宗によって着実に、東北の一角に根づいたのである。しかし、それは単なる模倣ではなくて、政宗が東北の地域特性をふまえながら、安土・桃山文化ない自分なりの付加価値を加えた文化であった。その文化は、いまも脈々と生きつづけている。
|
|