童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          論語の智恵一日一話 孔子に学ぶ最高の処世訓

■口先人間になるな

<本文から>
「口先ばかり達者で、芝居っ気たっぷりにおいしいことばかり言う人間には、真実味などまったく感じられない」
 戦国が終わって太平な時代に移った江戸時代の初期、武士は根本的に変質を迫られた。立身出世の基準(評価のモノサシ)も大きく変わった。大久保彦左衛門は、その著『三河物語』で″いま出世するタイプ″として次の五つを掲げた。自分のことしか考えない者・口先ばかり達者な者・ソロバン勘定の達者な者・嫌になるとすぐ会社を辞めてしまう者・仕事に必要な知識や技術より、懇親会の幹事が得意な者。現在はどうだろうか。
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■弟子に教わることもある

<本文から>
「孔子があるとき言った。わたしを啓発してくれるのは商(門人の名)だよ」
 幕末に長州藩で松下村塾を主宰していた吉田松陰がよく言った。「ぼくは君たちの師ではない。学友だ。なぜならぼくが君たちから学ぶことも多いからだ」。孔子の言うのも同じ意味だ。これは師弟関係だけではなく、職場における上下関係についてもいえる。課長がヒラから教えられることもあるし、社長が部長から教わることもある。そういう関係はケースによって立場をソフトに変える。そういう柔らかい人間関係が大切だ。
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■部下には愛情を持つ

<本文から>
「子産は下位の者に対しては常に愛情を持って臨んだ」
 原文では″民を養う″となっている。しかし民に対する態度も部下に対する能心産も同じだ。自分より下位にある者に対してはすべて同じ態度をとるべきだということだ。武田信玄が″人は城 人は石垣 人は堀″といった。これは明らかに組織目的の分権を指す。信玄は厳しい。しかしそのあとにすぐ″情けは味方 仇は敵なり″という。つまり割り当てた仕事をしっかりやってもらうためにも、リーダーは別な面で部下の一人一人に愛情を
持たなければだめだということだ。憎しみを持ったら完全に組織は崩壊してしまう。
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■なかなかわかってくれないなあ

<本文から>
「孔子が言った。なかなかわたしのことをわかってくれないなあ」
 孔子もこうボヤいた。弟子の子貢が、なぜそんなにボヤかれるのですかと聞くと、孔子はわたしは天を怨まず、人を咎めず、ただ自分の修養に努め、身近なことを通じて高い理念に到達しようと努力しているのに、なかなかそれを理解してもらえないのだよと応じた。世の中には、どんなすぐれた人に対しても、言わなくてもわかる相手二言えばすぐわかる相手・いくら言ってもわからない相手の三通りが存在する。孔子にすれば三番日の「いくら言ってもわからない相手」が多すぎたのかもしれない。
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■役割各担を心得よう

<本文から>
「孔子が言った。すぐれた人物は小さい仕事には活用されないが、大きい仕事を任せられる。反対に小さな人物は大きい仕事を任せてはもらえないが、小さい仕事には活用される」
 これは人間にも二宮金次郎のいう「分度」があることを示している。二宮金次郎の場合に分度というのは収入のことだが、孔子のことばに当てはめると「人間の能力の限界」と考えればわかりやすい。金次郎は収入に合わせて支出を考えろといった。それと同じで人間の能力も今持っている力に合わせた使い方をするべきだということだろう。
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