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<本文から> (新政府といっても、構成員の役人たちはこんな自慢話に花を咲かせて時間を過ごしているのか)
と感じた。そして、
(こんなやつらに給料を払うのは税金のムダ遣いだ)
と思った。が、かれらの自慢話がそのまま各人の功績となって現在の地位を得ているのだから、渋沢のような旧幕臣の立場で、
「けしからん」
といって人事を一新するわけにはいかない。
(この連中と付き合っていかなけれはならない)
と考えると憂鬱になったが、しかし渋沢はひるまない。
(徹底的に大改革を加えてやる)
と決心した。たとえてみれは自分は山の五合目あたりに落下傘降下したようなものだ。五合目から上にいる連中も下にいる連中もどうしようもない。渋沢が考えたのは、
(この連中を上と下とから挟み撃ちにしてやろう)
ということである。挟み撃ちにするというのは、かれから上の層に対しては伊達や大隈の力を借りて改革を促し、下の連中に対しては国民と直結して挟み撃ちにしてやろうということだ。しかしその作戦は慎重に立てなけれはならず、いきなり突出するとたちまち総スカンをくって反発をくう。改革どころか渋沢自身の立場も危うくなる。そうなるとせっかくひいきにして自分を引っ張ってくれた伊達や大隈に対しても申し訳のないことになる。
渋沢はもともと気が短い。そこでかれは腹が立つたびに、
(ひとつ、ふたつ、みっつ…)
と数を数えた。十まで数えるとだいたい怒りが収まる。そうしたうえで、
(この事態をどうするか)
と本格的な改革案に取り組む。腹が立ったまんま改革案を考えると、なにがなんでも、
「この連中をやっつけなければ気がすまない」
というような感情論が前に出た。報復が目立つ。それでは改革はできない。相手の納得も得られない。渋沢は、
(改革をすすめるうえには、やはり形のうえからととのえていかなけれはだめだ)
と考えた。いってみれは、
「大蔵省という器を新しくする」
ということだ。」
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