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<本文から> 家康か『貞観政要』 のことを知ったのは、いつのころかわかりませんが、いつも手もとにおいて、
「政治のテキスト」
にしていました。
この本は中国の唐の時代(六二七から六四九年)の太宗の言行を呉競という歴史家が記録したものです。内容は、
「国を治める者の心がまえ」
です。その中でも太宗はとくに、
「国民の世論重視」
「トップはいかに部下の諌めをきくか」
というふたつの点を何度もくりかえしています。
有名な、
「水はよく舟を浮かべ、またよくくつがえす」
というのも太宗のことばです。太宗の″水”というのは国民のことです。つまり、
「国民の支持が得られないと、帝王もその座を追われる」
という意味です。
徳川家康もよくこのことばを使いました。ところが家康はこの″水”を″部下”としています。つまり
「部下は主人を支えるが、場合によってはうらぎる」
という意味にしているのです。子どものときから苦労した家康は、心の一部に″部下不信”の気持ちがあったのでしょう。
しかし慶長五年二月といえば、まだ関ケ原合戦の七ケ月も前です。このころすでに家康に、
「天下への志」(あるいは野望)
があったといえます。
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