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<本文から> 私はかつて、三十年余にわたるサラリーマン生活を送った。そのために、時おり小説を書いている私を見て、
「おまえは二足のワラジをはいている」
という人がいた。しかし、その時も私はいいかえした。
「いや、一足のワラジを右と左の足にはいているだけだ」
その意味は、歴史とのつき合い方に似ている。つまり、仕事で解決できないことで思い悩んだ時、
「もし、上杉鷹山だったらこのテーマをどう解決しただろうか」
「豊臣秀吉だったら、どういうリーダーシップを発揮しただろうか」
と考える。あるいは逆に、
「織田信長があの時にやったことはまちがっている。現在のわれわれだったら、こういう解決方法をとっただろう」
というようなことも考える。すべてを歴史に学ぶだけではない。歴史上の人物も過失をおかしている。パーフェクトな人間などいるはずがない。その意味で、過去と現在との相互交流を、仕事と小説のうえでも行なった。これが、
「二足のワラジではなく、一足のワラジを別々な足にはいているのだ」
ということなのだ。 |
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