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<本文から> 「あるとき秀忠が、京都からあいさつにきた公家の接待を、山崎家治という大名に命じて、
「予算を思うように使ってよい」といった。
山崎はフンダンに金を使って、無事、接待を終わった。いままでなら、これで一件落着だが、これからはそうはいかない。会計マニュアルもできている。経理担当者が、「おそれいりますが」といって、会計報告の提出を求めた。そして、「以上のとおり相違ない」と書いて、署名捺印してほしいといった。
山崎は激怒した。「おれの役目は応接役だ! 書類づくりではない!」とどなった。そして、経理係の上司である土井総務部長のところへどなりこんだ。「土井殿は、私が信用できないのか」と、すごい剣幕でにらみつけた。総務部員はいっせいに、ハラハラして土井を見つめた。土井はこコニコ笑っていた。そして経理担当者にきいた。
「どうしても会計報告がいるのか?」
「はい。先般、上様(将軍)のお達しで決められましたので、守らなければなりません」
「そうか。しかし、署名者が山崎殿でなければだめか?」
「は?」
「山崎殿の家臣の名ではだめか?」
「それは…」
口ごもる担当者から視線を山崎に戻して、土井はこういった。
「山崎殿、こうしましょう。会計報告の署名者はあなたの部下にしましょう」
土井とその部下のやりとりをきいていて、(そういえば、たしかに新しい制度の触れが、このあいだ将軍さまから出ていたな)と思い出した山崎は、少しずつ怒りがおさまり、逆に居心地が悪くなりだしていた。土井は山崎のそういう心の揺れを見て、いった。
「しかし、何か、ことあるときのことを考えると、あなたも部下に責任を押しつけるわけにはいかないでしょう? 部下の署名のあとに、あなたも保証の署名をしてくれませんか? どうです?」
終始、おだやかな態度だ。山崎は、「わかりました」といった。神妙な態度だった。そして、
「部下に著名させる必要はありません。私がします」といった。土井は、「それは、ますます けっこう。きすが山崎殿です」とおだてた。周囲は、土井の人間の扱いの妙に感嘆した。
秀忠は父の家康に柔順な息子だったが、ときどき、″表″のステータスを示そうとして、「江戸で独自にこういうことをやりたい」といい出すことがあった。
土井はそういうときは、事前に重役たちに根まわしをしておいて、「決してその場で賛否をあきらかにしないでください」といった。そして、「どうだ?」と賛否の意見を求める秀忠には、「大変けっこうなご案ですが、一方所、ちょっと座りが悪うございますな。いかがでしょう?私どもも仕事場にさがって部下たちともよく相談いたしますが、上様も、もうひと晩、座りの部分をお考えくださいませんか?」と応じるのが常だった」 |
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