童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          歴史の生かし方

■経験を積むたびに歴史上の人物を違った角度から見るようになった

<本文から>
 わたしは年を重ね、経験を積むたびに、歴史上の人物をいままでとは違った角度から見るようになったと書いた。これからも、生きている限り人物や事件を見る目は変わっていくだろう。
 これは歴史に対する人間の一種の宿業と言ってよく、あるいは歴史における「法則」のようなものかもしれない。だから、若い時には感動して褒め称えていたような人物を、欠点を感じて今度は逆に批判するようことになるかもしれない。
 この本でも、わたしのこれまでの本で何度か書いてきた歴史上の人物を取りあげているが、その見方、評価はこれまでの本とは変化しているものもある。
 これは、見る側(わたし)の歴史に対する変節ではない。歴史上の人物や事件が、もともとそういう性格を持っているのだ。それを若い頃には発見できなかったに過ぎない。
 これからも、信長や龍馬や西郷などに対して、いまとは全く違った見方を書くことになるかもしれない。 
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■前田利家は不条理を受け入れた

<本文から>
 一方、そういう扱いを受けた利家は、必ずしも信長をいつまでも恨まなかった。利家は信長の政策に、「政治と文化の二つがある」と見抜いた。つまり利家のほうは信長の“あゆちの思想実現”を正確に理解していた。信長の政治には茶道を中心にした「文化」がある。利家はおそらく、
 「おれは政治性に欠ける面がある。腹にないことは言えないし、秀吉のようなおべんちゃらも言えない。しかし信長様の理念(あゆち)実現のためにはどうしても政治性が要るのだ。信長様はおれの欠陥を見抜き北陸に残した。二度と信長様のお側近くに行けないのなら、政治の面でお手伝いはできないが、文化の面ではお役に立てるだろう。自分の領国を文化立国にしよう」
と考えたに違いない。だから加賀百万石の祖になったかれは、自分の領国を文化の国″にした。そして文化製品を多く生んだ。その伝統は代々引き継がれた。
 ちなみに金沢に行って「すばらしい観光都市ですね」と言うと、「金沢は観光都市じゃありませんよ、文化都市です」と言う市民がいる。利家精神は立派に生きている。
 利家の立志は健気だ。二度と本社へ呼び戻してくれない信長を恨むことなく、主人の政策の一端を北国で見事に花咲かせたのである。しかし利家にすれば、それによって政治家としての半面を諦めるわけだから、生き甲斐の半分を自ら失うということになる。悲しかっただろう。
 後年、利家は豊臣秀吉によって大坂城に呼び出される。そして「五大老」の一人になる。
 しかし秀吉が利家に頼んだのは、政治の補助ではない。
 「息子秀頼の養育をお願いする」
 ということであった。政治の面は徳川家康が取りしきった。この時の利家の心境も付度すれば、やはりあまり嬉しいことではなかっただろう。
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■藤吉郎は槍試合の理由を告げて“疑問”を解いた

<本文から>
 もう一方の長い槍を担当した木下隊はどうだったのか。藤吉郎は、槍の技術など教えない。
 「おれの家に行こう」
 と言って、五十人の足軽を自分の家に連れて行った。この頃のかれはまだ係長か課長級だから家はそれほど広くない。足軽たちは座敷と縁側から庭にまではみ出た。その連中に藤吉郎は妻のねねに言いつけて、酒を買わせた。この頃のかれの懐具合では、高い酒は買えない。おそらく安焼酎だろう。「百年の孤独」や「森伊蔵」などにはとても手が出ない。が、足軽たちは喜んだ。
 「うちのお頭は変わってるな。槍の試合をおっぽり出して酒を飲ませくれるぞ」
 しかし、何にしても酒にありつけるのは有り難い。足軽たちは喜んで藤吉郎の振る舞い酒を飲んだ。ひとあたり酔いが回ったところで藤吉郎は告げた。
 「これから、おれの話を開け」
 と前置きして、
 「他の仕事で忙しいおまえたちに、なぜ急にいま、槍の試合をさせるのか」
というのがテーマだった。藤吉郎はこう説明した。
・尾張の国に伝わる“あゆち思想”をこの世で実現したい信長様は、一日も早くいまの合戦状況を鎮めたいと思っておられる
・しかし、合戦を終息するためには武器が左右する。いまのように刀や槍を振り回していたのでは、百年経っても合戦は終わらない
・そこで信長様は、新しく鉄砲を使おうと思い立たれた。堺その他の鉄砲市場に盛んに手を回しておられる
・しかしこの鉄砲は、われわれ(管理職)が使うのではなく、おまえたち(すなわち労働者)が使う
・鉄砲は俗に飛び道具≠ニ呼ばれる危険な武器だ。まかり間違っても、味方同士が撃ち合うような結果を生んではならない
・それにはどうすればよいか。鉄砲を扱うおまえたちが、互いのことを思いやって協働の心を持つことだ
・槍の訓練は、その協働の心を生むための実験だとおれは思っている。したがって、試合をしてもそれは勝ったり負けたりすることが大事ではなく、むしろおまえたちがどのように互いのことを思い合う心を生み出せるか、というのが大事なのだ
「そのつもりでおれとつきあえ」
と藤吉郎は告げ、
「さあ、どんどん飲め、酒が足りなければねねに買いに行かせる。安心して飲め」
と言った。みんな大笑いした。しかし藤吉郎の説明で、
 「なぜいま、槍の試合をしなければならないのか」
という疑問の大半が解けた。みんな、
 「さすが、うちのお頭はサル知恵が回るだけに偉い。おれたちの疑問を見事に解いてくれた」
と感心し合った。ギスギスしてささくれ立った上島隊の雰囲気とは雲泥の差だった。
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■藤吉郎は部下を愛し、自分から動く部下をつくる

<本文から>
 三日目にこんなことを言い出す足軽がいた。
 「おい、みんなよ、いつまでもお頭の御馳走になってるわけにはいかねえぞ」
 「どうしてだ?」
 「木下様だって、まだ大した地位じゃねえ。裕福なはずがねえ。それを無理してこんなにおれたちに酒を奮ってくださるのは、たんに槍の試合をやらせようという魂胆だけじゃねえぞ。あの人は、おれたちが好きなんだ」
 「それがどうした」
 「御恩を返そうよ」
 「御恩を? どうやって返すんだ?」
 「明日の槍の試合に勝つんだ」
 「冗談じゃねえ。三日間酒を飲まされっ放しで、もう二日酔いなんて生やさしい状況じゃねえぞ。三日酔いだ。どうして槍の試合に勝てるんだ?」
 「だからよう、うちのお頭はサル知恵があるんだ。きっとなんかいい知恵を教えてくださるよ。ひとつ、頼んでみよう」
 その足軽は藤吉郎のところに来た。そして自分たちの気持ちを話した。藤吉郎は笑って手を振った。
 「よせよ、いまさら槍の試合なんて。もう勝とうが負けようがどうでもいいんだ。おまえたちが、なぜいま槍の試合をするのか、そのことを納得してくれればおれの目的はもう終わったも同然だ。明日、信長様のところに行って頭を下げて謝るよ。うちの組は、なぜいま槍の試合をするのかという理由はよく納得しました。実技までは時間が足りませんでした。ご勘弁ください、と」
 「謝っても、信長様は気が短いから頭を張られますよ」
 「二つ三つ殴られたって、おまえたちのことを考えりや我慢できるよ。な、心配するな」
「まったくお頭は、そうやって泣かせるようなことを言って、おれたちを使うのが上手いねえ」
 しかし、これは皮肉ではなくみんなそう思っていた。つまり、藤吉郎の部下に対する愛情をしみじみと感じていたのだ。足軽だからといって、殴る蹴る罵ることで自分の思うように操れると思っている上島主水とは大違いだった。底辺で働くだけに、足軽たちは二人の指揮者の大きな違いを敏感に肌で感じていた。
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■藤吉郎はチームワークを高めた

<本文から>
 しかし、足軽たちの熱心な懇願を放っておけず、藤吉郎は五十人が井戸の水をかぶってしゃっきりしたのを見極めると、槍を教えることにした。
 一人ひとりに槍の扱い方を教えたわけではない。五十人を十七人・十七人・十六人の三組に分け、一組ずつやるべきことを指示した。
 三列に並べた。一番前の列には、明日は槍を振って上島隊の足軽たちの足を薙ぎ払え。そして目的を達成したらすぐ最後尾に戻れと命じた。二段日の組には、ひっくり返っている上島隊の足軽たちの頭をぶん殴れと命じた。そしてすぐ後ろへ戻れと指示した。三組目には。
 「念のために突き倒せ」
と言った。みんな笑った。そして、
 「そこまでやられたら、さすがの上島隊も怒って突いてくるでしょう」
と言った。藤吉郎は笑った。
 「突いてきても、向こうの槍は短い。こっちには届かない」
と告げた。これにはみんな「確かにそうだ」と余計笑い声を高めた。上島隊のほうでは、木下隊の笑い声が始終響くので、みんな首を傾げた。それに、どうも笑い声は酔っぱらったやつらの声だ。
 「あいつら、酒を飲んでるぞ」
 と囁き合った。
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