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<本文から> 最近読んだある本にこんなことが書いてあった。
「祈りとか願いによって得られるのは″そう努力するチャンス″を得ることだ」
という一文である。われわれが祈ったり願ったりするのは、
「あることを得たい」
という気持からだ。しかしこの一文は、
「たしかに願ったり祈ったりすれば、人間は何かを得るだろう。しかしそれは得たいものがそのまま得られるのではなく、得たいものを得ようとする努力のチャンスが得られるのだ」
ということだ。ぼくはこの一文を読んで大いに目から鱗が落ちた。また新しい考え方を教えられた。
「願うということは、そのものを得るための努力のチャンスが与えられることだ」
ということに思い至らなかった。祈ったり願ったりすることは、即物的にそのもの自体を得ることだとばかり思い込んでいた。それがそうではなく、
「そのものを得ようと努力するチャンスを与えられたのだ」
ということは、ハードルを一段下げられた意味でもあるし、また、
「努力を怠って、すぐそのものを得ようとする横着な心を戒めることば」
でもあった。
今度、貝原益軒の『楽訓』を読むに当たって、ぼくはつくづくこのことばの正しさを思う。したがって長々と紹介した益軒の、
「日本国の優れている点」
は、そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。日本が東方の気の発するところであって、人々が孔子や孟子がいなくても、聖賢のいう人の道″を守り、すでに実現済みの理想郷をつくつている、という言い切り方は、
「日本人が、まずそういう努力をしなければいけない」
ということだ。 |
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