童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          信長の野望

■信長は土地の代わりに茶の道を考えた

<本文から>
「つまり、土地の代わりになるものを考え出そうということだ」
「土地の代わりになるもの?」
「そうだ」
「銭でございますか?」
「ちがう」
「ほかに土地の代わりになるものがございましょうか?」
「ある」
 そういって信長は笑った。五人は顔を見合わせた。依然として信長のいっていることがわからない。信長はいった。
「なぜ、このことをおまえたち五人に頼むのか考えろ」
「なぜでございましょう?」
「おまえたちは、他の者のように土地を欲しがらない」
「はい」
「代わりに大切にしているのは何だ?」
「心、風流の道でございます」
「それだ」
「は?」
「わしが新しい考え方にしたいというのは、その風流の心だ」
「...」
「まだわからぬか?・わしが土地の代わりにしたいのは、茶の道だ」
「茶の道?」
長益が驚いて口を開いた。
 長益は、信長の弟だ。父信秀の入男とも、十一男ともいう。しかし、武人の家に生まれながら、あまり合戦が得意ではない。京都の本能寺で信長が襲われたとき、長益は信長の兄の信忠といっしょに、二条城にこもった。が、自分からそうしたのか、あるいは幸運だったのかわからないが、信忠たちが全員殺されてしまったのに、長益だけは脱出した。不思議な男だ。
 彼は、のちに有楽斎と名乗る。そして江戸に屋敷を構えた。数寄屋づくりの茶室をつくったので、この有楽斎という彼の号と、数寄屋づくりの茶室とが、そのまま現在の東京の地名になっている。
 有楽町という町の名と、数寄屋橋という橋の名は、ふたつともこの有楽斎にちなむものである。
 信長は領いた。
「わしが茶の道を大事にしたいというのは、そうなれば茶の道だけで済まなくなるからだ。必ず、関わりのある産業をにぎやかにするはずだ。茶の道を盛んにするのは、やがて限界がくる日本の土地の問題を解決するだけではない。わしは茶に関わりを持つ品物や、あるいは行事などに新しい価値を与えて、まず、わしの部下たちが、土地よりも茶に関わりを持つ物を、大切にするような気風を生みたいと思っている。しかし、それが何のためか、ということをきちんとしないと、部下も信用しない。だから、茶の道をひとつの価値あるものとして、いわば新しい文化として位置づける必要があるのだ。」
▲UP

■信長はハードな価値観を、文化というソフトな価値観に切り換えたい

<本文から>
「利休を中心として、おまえたちと、織部に知恵を出してもらいたい。そして、藤孝は、これを政治の面でどう生かしていくかをいろいろ考えてほしい。氏郷は、これを商業の面でどう生かせるかを考え出してもらいたい。藤孝は、朝廷や大名の間の事情に詳しい。頼む。氏郷は子供のころからわしといっしょにいたから、わしの考えがよくわかるはずだ。わしは商人に注目しつづけてきた。おまえにもそういう素質がある。とくにおまえの居城のあった、日野を拠点に活躍する近江商人たちの動向に詳しかろう。近江商人が、いかにすぐれた根性を持っているかは、わしといっしょにいた岐阜や安土で十分経験したはずだ。あの経験を改めて生かせ。
しかし、大事なのは、何といっても中心になる利休や、長益や、織部たちだ。おまえたちは、藤孝の政治、あるいは氏郷の経済、こういうものにわずらわされてはならん。むしろ、そういうものからはなれたひとつの聖域をつくり出せ。その聖域には、いかなる権力者も足を踏み入れさせてはならぬ。もちろん、わしも踏み入れない。そういう純粋な場をおまえたちによってつくり出してもらいたいのだ。これが、おまえたち五人への、わしの頼みだ」
信長の話をききながら、五人は次第に目を輝かせ、熱を帯びさせていた。いま、この時代に生きて、こんな抱負、経綸を持ちへまた実行しょうとするような武将がひとりでもいるだろうか。
 (やはり、信長様はちがう!)
 五人はそう思った。政治、経済、文化の各面にわたるすばらしい天オだと感じたのである。
(そこまで考えておられたのか?)
 五人は目の前の信長がたとえようのない巨きな人物に見えてきた。
 信長は、土地という、いまでいえばハードなものに対する日本人の価値観を、文化というソフトな価値観に切り換えたいというのである。そのためには、人間が大きく向上しなければならない。ひとりひとりの人間が、意識をかえなければタメだ。ゆとりやふくらみのある文化の心を持たなければだめだ。信長がやろうとしていることは、人間の意識を、物欲から、精神の欲に切り換えようということだ。壮大な企てであった。それを、ここに集まった五人を核にしてそのお膳立てをしたいというのだ。五人はふるい立った。
▲UP

■信長の府体制と日本府の多賀城構想

<本文から>
「府というお考えは、大変興味を持って伺いました。どうせのことに、信長殿がお考になっている各府の長官について、ご腱案があれば伺いたい」
 この言葉をきくと、一座の騒ぎはピタリとおさまった。みんなが関心を持っていることを、義久がズバリときいたからである。
 信長は領き、一座を見渡した。子供に、お楽しみのおもちゃか菓子でも与えるような態度だった。
 「腹案を申しあげる」
 信長はそう口を切った。
「京都府の長官には、細川藤孝と蒲生氏郷、近畿府の長官には、羽柴秀吉、江戸府の長官には徳川家康と北条氏直、それに佐竹義重、奥羽府の長官には、伊達政宗と最上義光、それに芦名盛氏、北国府の長官には上杉景勝と前田利家、山陽府長官には毛利輝元と小早川隆景、それに吉川元春、山陰府長官には、尼子氏の遺児と佐々成政、九州府長官には島津義久並びに大友宗麟、四国府長官は長曾我部元親と細川並びに三好一族、蝦夷府長官には柴田勝家と蠣崎氏。以上です」
「……」
一座は呆然としていた。しばらくは声がなかった。以外だったのか、それとも人事布石が、あまりにも水際立っていたせいかどうかわからない。信長は、その静寂を見据えたまま、さらに続けた。
 「他に、大和国(奈良県)に、茶道府を置く。茶道府長官は、千利休、織田有楽、それに古田織部」
 大名たちは、小さくアッと声をあげた。信長と、利休、有楽、織部の顔を見た。信長は、お構いなしに続けた。
 「各地方の府を統括するために、日本府を置く。日本府の長官は、この私と、足利義昭公になっていただく。日本府の奉行は森蘭丸を命じたい。そして、日本府の府庁は、この多賀城に置く」
 今度こそ、大名たちは驚きの声を隠さなかった。全員、アッと叫んだつもりだが、実は言葉にならず、
 口だけポカンとあけて信長をみつめていた。
▲UP

童門冬二著書メニューへ


トップページへ