童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          評伝二宮金次郎 心の徳を掘り起こす

■積小為大

<本文から>
自然の力は恐ろしい。それまでの人間の努力を、一挙に押し流してしまう。あの洪水がそうだった。先祖代々、丹精して耕してきた土地は、一夜のうちに流れ去った。代わりに川の右がゴロゴロと座り込んだ。土など全部どこかへいってしまった。右の畑に変わってしまったのである。あの金次郎が感じたのは、一種の無常観だった。同時に、
「自然の力の恐ろしさ」
であった。金次郎はその自然の力の恐ろしさを、
「天の力」
と受け止めた。かれは霊的な人間だったから、その天の力に対して無常観を持ったのではない。かれは、
「人間の努力も、時には天の力によって一挙に消滅させられる」
ということを知ったのである。そうなると、普通の人間だったら、
「どんなに人間が努力しても、天の気まぐれでそれを押し流すのだったら、もうバカバカしくて努力などできない」
と考えるだろう。ところが金次郎は逆だった。
「天の力も時には理不尽なことがある。不条理なことがある。であれば、その理不尽さや不条理に対して人間の論理を組み立てる必要がある」
と考えた。前にも書いた、
「水車の論理」
は、この金次郎の哲学を示すものだ。つまり、
・水車は、川の流れという天の力だけで回っていると思うのは間違いだ。
・もし水車が、天の力だけに頼っているのであれば、当然川下に流れ去ってしまう。
・しかし水車は踏みとどまって、自分で回転している。ということは、天の力に逆らう水車自身の力があるからだ。
・これが人間の力だ、人間の論理だと金次郎は考えた。
 この、
「天の力に逆らう人間の力」
を、金次郎は生涯自分を生かすパワーの源としていく。
豊かであり、父や母の情け深さが村の人に及んでいた時は、村の人々も金次郎一家を尊敬し、
「仏の利右衛門さん」
などと、父を崇めた。しかし、いったん貧乏してしまうと、村人たちは見向きもしない。極楽から地獄へと落ちた人間を見るような目つきをする。しかし金次郎は、
(これも天の理なのだ)
と思う。つまり、金持ちから貧乏人に落ち込んだ二宮一家を見る村人の目が、蔑みのそれであったとしても、そういう目つきをする村人に罪があるわけではない。天の理が、そう命じている.つまり、
「金持ちには憧れと尊敬の日を向け、貧乏人には蔑みの目を向ける」
というのは、人間の自然発生的な感情であってこれは天がそのまま与えたものだ。しかし、金次郎はだからといって天の力に屈しようとはしない。その天の力を、不条理と思い不合理と思う。
「それには、人間の理を持って対抗していくことが必要だ」
と考えた。しかしだからといって、その天の力に対しいたずらに人間のカを誇示して、ケンカをしようというわけではない。金次郎は別な方法を考えた。それは、
「一つひとつ、小さなことを積み重ねて天の力に向き合えるような人間の力を生もう」
ということである。
これが金次郎の有名な、
「積小為大」
の根本になる。つまり、
「どんな大きなことも、小さなことの積み重ねからはじまる」
ということである。別ないい方をすれば、
「どんな大きなことも、いきなり完成はしない」
ということだ。

■民が生きていけるような、環境の整備と収入の確保を願う

<本文から>
 今日本の各自治体が、
「まちづくり」
や、
「地域の活性化」
を地域行政のひとつの目的として掲げ、それなりに努力している。そしてすでに基本法ができて、
「来年からいよいよ地方分権の時代に入る」
といわれている。地方分権で地方自治体がやらなければいけないことは、
「そこの住民が安心して生きていけるような基盤整備を、自前でおこなう」
ということである。
二宮金次郎が江戸時代末期に願ったのは、まさしくこの、
「民(とくに農民)が生きていけるような、環境の整備と収入の確保」
だったはずである。二宮金次郎は自分が農民だったから、農民を主体に考えていたが、かれの思想の根底にあったのは何も農民のことだけを心配していたわけではない。日本人全体のことを考えていた。
「民と呼ばれる人々が、すべて豊かで安定したくらしができるような政治」
を求めていた。
今でいえばこれらの要件を満たすためには、次のことが必要だ。
・平和に生きられること。
・豊かに生きられること。
・平等に生きちれること.
・正しく生きられること.
・自己向上できること。
・パフォーマンス (自己表現) できること。
・これらの条件が安定して保たれていること。
平和についてはいうまでもない。豊かに生きられるということは、身近なところに仕事があってそこから収入が凝られるということだ。現代社会に即していえば、各地域にとくに若者のための働き場があるということだ。これは、
「地方分権の推進」
が早まれば早まるほど、行政がとくに考えなければいけないことである。そうしないと、地域の高齢化、あるいは過疎化がどんゼん進行してしまう。若者は何も、快楽だけを求めて大都市へ出ていくわけではない。
「身近なところに収入を得る場所」
がないからである。
平等に生きられるというのは、
「絶対に差別のない社会の実現」
をいう。身分、男女の別、学歴の差、やっている仕事の内容、身体に障害があるかないかなど、およそ人間のか属性々と呼ばれるものによって、絶対に差別されないことが要件だ。いうところの、
「ノーマライゼーション」
の実現である。

■自助・互助・公助の三助方式を実行

<本文から>
「納得を得るための条件」
というのがある。その条件とは、
一、何のためにこういう仕事をするのかということを明らかにする。
二、それぞれの人間がやった仕事が、目的に対してどれだけ貢献したかということをはっきり知らせる。
三、貢献した仕事に対しては、どういう褒美を与えるか、あるいはなまけたので罰するかという信賞必罰を明らかにする。
ということだ。一は目的、二は寄与度、三は評価を示すごしの目的・寄与度・評価がはっきりしないと、誰も働かない。現在でも、これは、
「働く人間が、働こうとするモチベーションに必要な条件」
だといわれる。そこで金次郎は、村全体の分度を、
「まず千俵の米を作り出す」
ということを目的にし、
「その方法として、自助・互助・公助の三助方式を実行する」
と宣言した。金次郎は、小田原を出発する時に、自分の財産を全部処分して資金として持ってきていた。これを全部ぶち込んだ。つまり、
「まず公助の実行」
をおこなった。次に自助と互助をどうすれば可能にするかいろいろ考えた。
 そこでかれは村々を自分の目でみて歩いた。一軒一軒のくらしの状況、農耕具の有無、あるいは馬や牛の有無、それぞれの施設がどうなっているかなどをつぶさに調べた。そして、
「一軒一軒の家に見合ったような、補強策を取ろう」
と考えた。この段階では、主として「公助」を適用した.
かれは、そういうひどい状況下でも、真面目にコツコツ働いている人間をどんどん表彰した。これは、「納得の三条件」のうちの、「評価による信貰必罰」のうち、褒貧をどんどんおこなったということである。これによって農民の一部が動き出した。
「真面目に働けば、それなりの評価が得られる」
という"生きがい"を感じ始めたのである。
村には、岸右衛門などと呼ばれるなまけ者の代表がいた。朝から酒を飲み、三味線をひいたり、バタチをやっている連中の代表である。これが、もっとも、
「アンチ二宮金次郎」
的態度を示した。そして、小田原から来ている腐敗した役人と結託し、金次郎の排斥運動をおこなっていた。
この時金次郎がおこなった、
「岸右衛門を納得させる説得方法」
について、わたしは自分の経験から次のような話をした。前提として、
「わたしが毎日取り入れている二宮金次郎的生き方」
の一環としての話である。

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