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<本文から>
人を使うときのことわざで、なるほど、うまいことを言うな、と思ううのは、上杉鷹山(江戸中期の米沢藩主。名君と言われた) の、「してみせて言って聞かせて させてみる」という言葉である。
「してみせて」という、いわば率先垂範は多くのリーダーがやるが、「言って聞かせて」という「説得して、納得させる」ということを、割合、抜きがちである。そのため、仕事を言いつけても、「なぜ、おれがこんなことをやらなければならないのだろうか」と疑問を持つ部下もいる。また、一所懸命仕事をしたあとでも、上の人が知らん顔をしているので、不平、不満がしだいに胸の中で育つ、ということもある。
「こんなことくらい、別に言わなくても、わかるはずだ」 と、上役が考える。その ″こんなことくらい”が、実は、部下の身になってみれば、たいへん大きな意味を持っていることがあるのだ。
そこで、上の人は、つねに部下“二人ひとりの性格をよく見きわめ、(この問題を、この人の立場に立って考えたら、どう考えるだろうか」ということが大切だ。それが文字どおり「相手の立場に立つ」ということであり、また、それが限りない部下への愛情ということになるだろう。
つまり、部下への愛情は、ワンパターンでなく、その一人ひとりに見合ったものを注がなければだめだ、ということなのだ。
が、そうは言うものの、上の人がいくらそういう努力をしても、相手のほうがその愛情を素直に受け止めない場合がある。特に、「ヒガミっぽい性格の部下」は扱いが難しい。叱れば
「怒られた」と受け収り、批判すれば「非難された」と受け止める。ほめても「からかわれた」と取る。なんでも悪く悪く解釈する。始末が悪い。しかもパニックを起こして、まわりのことなど考えずに、ワアワア騒いだり、ヒステリーを起こしたりするから、上の人もハレモノにさわるような態度になる。
ある合戦で、加藤清正の雄が旗色が悪くなった。清正はその戦闘状況を、丘の上に置いた本陣から見ていたが、(これ以上戦うと、部下がたくさん死傷する。悔しいけれど、ここは一応退却させよう)と決意した。
武将が戦場に行くときは、必ず母呂衆と呼ばれる連絡将校を連れて行く。何人もいて、トップの命令を前線に伝えたり、前線の状況を報告したりする。だから、この母呂衆の口のきき方一つで、その武将の戦略が決まり、軍が動く。戦いに勝つか負けるかのカギを握る、大事な役目だ。いまの秘書室の役に似ているが、もっと権威があった。実力もあった。
が、この母呂衆にも序列があり、その順位は厳しかった。大事な命令は、やはり順位の高い先任者が伝えることになる。
このときの退却命令は重大だ。当然、いちばん順位の高い甲が命ぜられるものと思っていた。しかし清正は、はるかに序列の低い乙に、「おまえが行け」と命じた。
乙は勇躍、馬を飛ばして行った。やがて、乙が前線の指揮者とやりとりをしているのが見えた。軍は退き始めた。すると、こっちが退却すると見た敵軍が迫ってきた。軍の後尾で小ぜり合いが起こった。そして軍は、反転する姿勢を示し、いったん停止した。清正はそれを見て、
(いかん、相手になるな)と、心の中で叫んだ。
ところが脇にいた甲が、「反撃しろ! 敵に後ろを見せるな。全員、戦死を党悟で突入しろ!」とわめいた。清正は知らん顔をしていた。しかし、胸の中で、(困ったやつだ)と思っていた。
下方では、乙がしきりに馬を駆りながら、懸命に加藤軍を退却させようと努力しているありさまがよく見えた。その労力が功を奏して、全員無事に引き上げてきた。清正は、指揮者と乙に、「ご苦労だった」と、ねぎらいの言葉をかけた。が、甲は脇でふくれっつらをしていた。
城に戻ると、甲は自分の家にこもって出てこない。脇の者にわけを聞くと、清正が、大事な伝令の役を自分に命じないで、乙に命じたことを不満に思い、ヒネクれているのだという。清正は、「相変わらずだな」と苦笑した。
叩は、欠勤の理由を表面上は病気ということにしていた。二、三日後、清正はプラリと甲の家に行った。もともと仮病なのだから、さすがの甲もあわてて、家族にふとんを敷かせ、その中に潜り込んだ。ズカズカ上がってきた清正は、「どうだ?病気は?」と聞いた。
「は、まあ、どうにか」
武骨者の甲は、つきなれない嘘をついてまごまごした。清正は知らん顔で、「大事にしろよ。いま、おまえに倒れられると、おれが困るぞ」と言った。甲は、(嘘ばっかり。どうせ、おれなんか要らないくせに)と、恨めしそうな目をした。
清正は、思い出したように、「そうだ、この間のおまえに礼を言うのを忘れていた」と言った。
「は? この間と申されますと?」
「合戦の日だ。おれが兵を退かせた日だ。あのとき、おれは前線への快いに乙を使った。先輩のおまえを差しおいて乙にしたのは、おまえを出すと、おまえは全軍を退かせても自分は一人でしんがりに着き、敵と戦い抜くことがわかっていたからだ。おまえは、そういう忠義な男だ。だから、おれには欠けがえがない。あのとき死なれては困ると思って、おまえを使わなかった。おれは、まもなく反撃に出る。そのときは、おまえに一番槍を命ずる。あの日、おまえはよく我慢してくれたな。さぞかし、おれに不満を持ったことだろうが、それを色に出さないのは偉い。おい、一日も早く治ってくれよ」
清正の言葉薬に、甲は弱り果てた。顔を赤くして、「実は・・・」と起き上がろうとした。
「何も言うな。そんな赤い顔をして、さぞかし熱が高いのだろう。大事にしろ」
そう言って、清正は立ち去った。清正が去ったあと、甲は、ふとんをはね飛ばし、どっかとあぐらをかくと、いきなり、「ばか、ばか、ばか!」とわめきながら、自分の頭をげんこつでなぐり始めた。
清正は「言ってきかせて」の名手であった。
が、その底にいつも温かい愛情が流れていた。
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