童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          人間の器量・なぜこの人はこの人についていくのか

■「してみせて 言って聞かせて させてみる」のお手本・加藤清正(人の心を攬る)

<本文から>
  人を使うときのことわざで、なるほど、うまいことを言うな、と思ううのは、上杉鷹山(江戸中期の米沢藩主。名君と言われた) の、「してみせて言って聞かせて させてみる」という言葉である。
「してみせて」という、いわば率先垂範は多くのリーダーがやるが、「言って聞かせて」という「説得して、納得させる」ということを、割合、抜きがちである。そのため、仕事を言いつけても、「なぜ、おれがこんなことをやらなければならないのだろうか」と疑問を持つ部下もいる。また、一所懸命仕事をしたあとでも、上の人が知らん顔をしているので、不平、不満がしだいに胸の中で育つ、ということもある。
「こんなことくらい、別に言わなくても、わかるはずだ」 と、上役が考える。その ″こんなことくらい”が、実は、部下の身になってみれば、たいへん大きな意味を持っていることがあるのだ。
 そこで、上の人は、つねに部下“二人ひとりの性格をよく見きわめ、(この問題を、この人の立場に立って考えたら、どう考えるだろうか」ということが大切だ。それが文字どおり「相手の立場に立つ」ということであり、また、それが限りない部下への愛情ということになるだろう。
 つまり、部下への愛情は、ワンパターンでなく、その一人ひとりに見合ったものを注がなければだめだ、ということなのだ。
 が、そうは言うものの、上の人がいくらそういう努力をしても、相手のほうがその愛情を素直に受け止めない場合がある。特に、「ヒガミっぽい性格の部下」は扱いが難しい。叱れば
「怒られた」と受け収り、批判すれば「非難された」と受け止める。ほめても「からかわれた」と取る。なんでも悪く悪く解釈する。始末が悪い。しかもパニックを起こして、まわりのことなど考えずに、ワアワア騒いだり、ヒステリーを起こしたりするから、上の人もハレモノにさわるような態度になる。
 ある合戦で、加藤清正の雄が旗色が悪くなった。清正はその戦闘状況を、丘の上に置いた本陣から見ていたが、(これ以上戦うと、部下がたくさん死傷する。悔しいけれど、ここは一応退却させよう)と決意した。
 武将が戦場に行くときは、必ず母呂衆と呼ばれる連絡将校を連れて行く。何人もいて、トップの命令を前線に伝えたり、前線の状況を報告したりする。だから、この母呂衆の口のきき方一つで、その武将の戦略が決まり、軍が動く。戦いに勝つか負けるかのカギを握る、大事な役目だ。いまの秘書室の役に似ているが、もっと権威があった。実力もあった。
 が、この母呂衆にも序列があり、その順位は厳しかった。大事な命令は、やはり順位の高い先任者が伝えることになる。
 このときの退却命令は重大だ。当然、いちばん順位の高い甲が命ぜられるものと思っていた。しかし清正は、はるかに序列の低い乙に、「おまえが行け」と命じた。
 乙は勇躍、馬を飛ばして行った。やがて、乙が前線の指揮者とやりとりをしているのが見えた。軍は退き始めた。すると、こっちが退却すると見た敵軍が迫ってきた。軍の後尾で小ぜり合いが起こった。そして軍は、反転する姿勢を示し、いったん停止した。清正はそれを見て、
(いかん、相手になるな)と、心の中で叫んだ。
 ところが脇にいた甲が、「反撃しろ! 敵に後ろを見せるな。全員、戦死を党悟で突入しろ!」とわめいた。清正は知らん顔をしていた。しかし、胸の中で、(困ったやつだ)と思っていた。
 下方では、乙がしきりに馬を駆りながら、懸命に加藤軍を退却させようと努力しているありさまがよく見えた。その労力が功を奏して、全員無事に引き上げてきた。清正は、指揮者と乙に、「ご苦労だった」と、ねぎらいの言葉をかけた。が、甲は脇でふくれっつらをしていた。
 城に戻ると、甲は自分の家にこもって出てこない。脇の者にわけを聞くと、清正が、大事な伝令の役を自分に命じないで、乙に命じたことを不満に思い、ヒネクれているのだという。清正は、「相変わらずだな」と苦笑した。
 叩は、欠勤の理由を表面上は病気ということにしていた。二、三日後、清正はプラリと甲の家に行った。もともと仮病なのだから、さすがの甲もあわてて、家族にふとんを敷かせ、その中に潜り込んだ。ズカズカ上がってきた清正は、「どうだ?病気は?」と聞いた。
 「は、まあ、どうにか」
 武骨者の甲は、つきなれない嘘をついてまごまごした。清正は知らん顔で、「大事にしろよ。いま、おまえに倒れられると、おれが困るぞ」と言った。甲は、(嘘ばっかり。どうせ、おれなんか要らないくせに)と、恨めしそうな目をした。
 清正は、思い出したように、「そうだ、この間のおまえに礼を言うのを忘れていた」と言った。
「は? この間と申されますと?」
「合戦の日だ。おれが兵を退かせた日だ。あのとき、おれは前線への快いに乙を使った。先輩のおまえを差しおいて乙にしたのは、おまえを出すと、おまえは全軍を退かせても自分は一人でしんがりに着き、敵と戦い抜くことがわかっていたからだ。おまえは、そういう忠義な男だ。だから、おれには欠けがえがない。あのとき死なれては困ると思って、おまえを使わなかった。おれは、まもなく反撃に出る。そのときは、おまえに一番槍を命ずる。あの日、おまえはよく我慢してくれたな。さぞかし、おれに不満を持ったことだろうが、それを色に出さないのは偉い。おい、一日も早く治ってくれよ」
 清正の言葉薬に、甲は弱り果てた。顔を赤くして、「実は・・・」と起き上がろうとした。
「何も言うな。そんな赤い顔をして、さぞかし熱が高いのだろう。大事にしろ」
 そう言って、清正は立ち去った。清正が去ったあと、甲は、ふとんをはね飛ばし、どっかとあぐらをかくと、いきなり、「ばか、ばか、ばか!」とわめきながら、自分の頭をげんこつでなぐり始めた。
 清正は「言ってきかせて」の名手であった。
 が、その底にいつも温かい愛情が流れていた。

■鍋島勝茂にみる部下を突き放す人間に管理職の資格はない(配慮の知恵に学ぶ)

<本文から>
 『葉隠』は、あるべき家臣像を追求する江戸時代初期の″サラリーマン道”を書いた本だ。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」
 という、極端な面ばかり強調されているが、内容は別にそれほどかたよったものではない。むしろ、佐賀藩におけるトップ・ミドル・ローの各層の、経営・管理に関するエピソード集であり、そういう事例集である。中にこんな話がある。
 藩主鍋島勝茂は、「部下には四とおりある」と言って、次のように区分していた。
●急だらり − のみ込みはりいが、手をつけるのは遅い。
●だらりだらり − のみ込みも遅く、仕事も遅い。
●だらり急 − すぐには納得しないが、いったん納得すると仕事をあっという間に片づけてしまう。
●急々 − のみ込みも早く、仕事も早い。
 また、中間管理職が、部下を見るときの態度を知るのに、次のようなエピソードがある。
 勝茂は、あるとき、甲課長を呼んで、こう聞いた。
「おまえの部下のAについて、おまえはどう思うか?」
 甲課長はこう答えた。
「遅刻はする、洒は好き、というように、いろいろ欠点はございますが、仕事にかけてはAほど健秀な人はおりません。いつまでも手もとに置いておきたいと思います」
「よし」と勝茂は満足そうにうなずいた。次に乙課長を呼んで聞いた。
「おまえは、おまえの部下のBについてどう思うか」
 乙課長はこう答えた。
「Bは、仕事はよくできるのですが、遅刻はする、洒は飲むで、手を焼いております。ああいう人間をそのままにしておきますと、ほかの者に対して示しがつきません。前々からお願いしようと思っておりましたが、機会がありましたら、どうか、こらしめのために、左遷していただきとうございます」
「うむ・・・」と勝茂は答えなかった。やがて発表された人事異動で、左遷されたのは、乙課長のほうだった。その理由について勝茂は側近の者にこう言った。
「実は、AとBの両社貝について、私行が悪いという密告があった。そこで監督者である甲と乙を呼んで、課長としてどう思っているかを聞いてみた。甲は仕事を中心に考え、Aをかばった。が、乙は私行を中心に考え、Bを突き飛ばした。甲には部下に対する愛情があり、乙にはない。乙は管理職としての資質に欠ける。仕事のできるBの私行が悪いのも、あるいは、乙のせいかもしれない。だから乙を飛ばしたのだ」
 この話は、いつのまにか洩れた。感激したAとBの素行不良は収まり、仕事一途の模範社員になった。

■不平男を立ててやって臣従させた秀吉(難局を克服する)

<本文から>
 秀吉に臣従した大名に甲という人物がいた。昔は秀吉と同じょうに織田信長に仕えていた。が、信長が殺されて秀吉が天下を取ると、これに従った。しかし心から心服はしていない。胸の底では、いつも、(この間までは同僚だったのに) と思っていた。日々の仕事もおもしろくなく、洒と女にうつつを抜かした。
 無計画に金を使ったので、その家の経済が傾いた。豪商から借金もした。悪循環が始まる。返せないからさらに高利の金を借りるようになる。しまいには首が回らなくなった。
 このことが秀吉の耳に入った。
「放っておくと、あの男はだめになります。すでに家来の信望も失っておりますので、家が倒れてしまうかもしれません」と、報告した者は顔を曇らせた。そして、「呼び出して、厳しく叱ってください」 と言った。
 これを聞いて秀吉は苦笑した。
「叱れば、なおさらあいつはだめになるよ」
「なぜでございますか?」
「あいつの放埒の原因は、おれへの対抗意識だ。昔の同僚だったおれに、主人として仕えねばならない毎日が、我慢できないのだ。その気持ちはおれにもよくわかる」
「では、このまま、放っておくのですか?」
「放ってはおかないさ。呼んでこい」
 使いが走って甲を呼んできた。呼ばれた甲は、二日酔いで、荒み切った顔をしている。吐く息もくさいし、秀吉への挨拶も投げやりだ。
(どうせ怒られるのだろう、もうどうなってもいい) というようなふてくされた態度である。
 その様子を見ながら、秀吉はニコニコ笑って、「よう、元気か?」と言った。甲は、「元気どころじゃありませんな。急なお呼び出しは放埒のお叱りですか?それともこれですか?」 と、手刀で自分の首を斬る真似をした。秀吉は首を振った。そして、
「折り入っておぬしに頼みたいことがある。淀川が氾濫して困る。おぬしは工事の名人だ。堤を築いてくれ」
 これを聞くと甲は目をむいて秀吉をにらみつけた。
「それほど私が憎いのですか?」
「どうしてだ?」
「堤を造る費用を私に持たせて、借金だらけの私を潰すつもりでしょう? 実に陰険なやり方だ」
「なにをばかなことを言っているのだ? 堤を造る費用は私が出す。それも前渡金でな。資材も買い整えてある。人間はおぬしの考えで何人でも雇え。すぐ工事計画と費用の見積もりを出してくれ」
 甲はあっけにとられた。様子がだいぶ違うと思った。見積もりを出すと、秀吉は、
「こんなみみっちい見積もりでは、堤がすぐ破れてしまう、思い切ってやれ」 と言って、甲の見積もり額の二倍の前金を渡した。
 工事が始まると、ちょいちょい現場に来た。そして現場の人々に甲を指差しながら、「この男に頼まれて、おまえたちの激励に来た。しつかり頼むぞ」と言った。現場の人々は、太閤秀吉をこんなにたびたぴ呼び出せる甲は、大した実力者だと思った。そのため、工節ははかどった。工事費は半分ですんだ。甲が返しに行くと秀吉はは笑って手を振っ。「工事費を余らせたのはおぬしの才覚だ。返さなくていい。それで借金を返せ」
甲は、はじめて秀吉が自分の顔を立てながら、莫大な借金を返す方法を、堤防の工事という形で実現してくれたことを知った。以後、甲は秀吉の真の忠臣になった。

■頭が良くても、受けた印象が必ず二つに分かれる(難局を克服する)

<本文から>
 戦国時代に繰り広げられた″頭のよさ”の模範試合
人間には、よく、「あの人は頭がいい」といわれる人がいる。直観力や分析力や判断力にすぐれている人のことだ。
が、その”頭のよさ″を認めても、受けた印象が必ず二つに分かれる。
A 好感が持てるタイブ
B 悪感情を持つタイプ
の二タイプである。Aはすっと解け込めるタイプであり、Bはカナンとくるタイプだ。だから、これが人間関係になると、Aタイプの言うことは割合滑らかに受け入れられるが、Bタイプのほうはギクシャクする。
「言っていることはもっともなんだけど、どうもあいつの言うことじゃね」と、″何を言っているのか″でなく、”誰が言っているのか”を問題にされる。つまり、内容よりも言い手が論題になってしまう。
 これは、言い手の人間性に問題があるからだろう。人間が理屈だけでは動かないことを示すいい例だ。
 Bタイプに反感を感ずるのは、自分から、「おれは頭がいいんだぞ」と言わんばかりに、鼻の先に何かをプラさげているからだ。
 反対に、Aタイブが好感を持たれるのは、頭のよさなどオクビにも出さずに、シュガーコートでくるんで、何気ないひと言やしぐさで、まわりの人を、はっとさせたり、クスッとさせるからだ。生来の鋭い直観力を、知的に磨き上げているためと、また、たいへんな「人間通」であるためだ。
 そして、シュガーコートが巧まざるユーモアである場合が多い。
 もう一つは、なんといっても、「言行一致」 の人生態度である。どんなにいいことや、偉そうなことを言っても、いざ実行という段階になると逃げ出し、しかも、うまくいかなかった場合も、「やり方がまずかったからだ」などと言うのは、えてしてBタイブに多い。

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