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<本文から> その時に一番大切なのは何といっても″情報″だ。しかし情報も、ただ得ただけでは何の役にも立たない。分析し、問題点を取り出し、考え、そしていくつかの選択肢を用意し、その中からもっとも効果的だと思われる肢を選ぶことが大切だ。同時に実行することである。
これは、現象に対してだけではない。岩崎弥太郎がやったのは、
「人間に対する分析と判断」
である。そしてその分析と判断に基づいた、
「決断と行動」
であった。俗なことばを使えば、弥太郎は、
「吉田東洋という人物を、先物買いをした」
のである。先物買いというのは、
「吉田東洋様は、必ずもう一度、藩の実力者にもどる」
という見通しを立てたことだ。つまり吉田東洋という人物に、
「先見カ」
を働かせたということである。これが弥太郎のすぐれたところだ。いってみれば"人間学"の名人だった。
岩崎弥太郎は学者だったから、吉田東洋と同質のものを持っている。そして東洋が、
「まがったことは嫌いで、私欲がまったくない」
ということも知っている。ということは、弥太郎の判断では、
・山内容堂公のような、わがままな殿様のやり方を続けていると、土佐藩全体がだめになってしまう。
・ましていまは日本も開国し、国際化の波がどんどん押し寄せている。
・そんな時に、古い考え方を守りつづけていれば、山内家もつぶれる。
・藩内にも良識派はいるはずだ。そうなれば、容堂様がまちがっていて、吉田東洋様が正しいと考えている人物もたくさんいる。
・こういう連中が、やがては運動を起こすはずだ。
・吉田東洋様は、そういう世論に押されて必ずもう一度、藩政の実力者にもどる。
(であるならば、たとえいまは不遇の状況におかれていても、吉田様に接近しよう)
と筋道を立てたのである。
不遇な時に接近する人間が多ければ多いほど、その不遇な立場に立つ人物はうれしい。
「この男は、なかなか見どころがあります。先般は、牢屋にぶちこまれた父親のかわりに自分が牢に入って、父親を出しました。いまどきめずらしい人間です。それだけではありません。なかなか漢字に堪能で、とくに詩をつくるのが得意です。よさこい節もこいつにかかると、たちまち一篇の漢詩に変わります」
後藤象二郎は自分の発見した岩崎弥太郎を、最大限におじの吉田東洋に推薦した。東洋は、じつと弥太郎を見つめ、
「そうか」
とうなずいただけだった。目の底が鋭く光り、弥太郎は裸にされたような気がした。そして、
(おそろしい人だ。この人にはうそはつけない)
と感じた。 |
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