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<本文から> こんな話がある。
あるとき、二代将軍徳川秀忠が、京都二条城の改築を思い立った。藤生高虎が築城の名人であり、同時に城下町づくりにも堪能だというので、高虎にこの件を命じた。高虎は有り難くお受けした。ところが高虎は、設計図を二枚作った。互いに多少中身がちがう。家臣が訝って、
「なぜ二条城の設計図を二枚お作りになるのですか?」
ときいた。高虎は笑ってこう答えた。
「二通作ったのは、このうちどちらかを上様(秀忠)に選んでいただくためだ。上様がどちらかをお選びになれば、それは上様がお決めになった設計図だということになるだろう。もし一通しか出さずに、それをそのまま上様がお許しになつたら、二条城の設計はこの高虎が定めたものとなる。それでは上棟のお立場がなくなる。
いいか、主君に仕えるにはそういう心構えが必要なのだ。つまり、主君に対しては常に敬う気持ちが大切だ。敬う気持ちというのは、もしも上棟のお立場に立ったときに、どうお思いになるかというJJとを常に頭に置かなければ駄目だ。
一通しか出さず、たとえ上様がそれをお認めになったとしても、上様のお心の中では、世間ではおそらく藤堂高茂が書いた設計図をそのままお認めになって城を改修させたのだと思うことだろう、と多少ご不満をお残しになる。それでは本当に主君の身になつて物事を運んでいるとはいえない。
だいたい、人に仕える者は、自分の立てた功績は主君に差し上げ、失敗したときはその罪を自分が引き受けるというふうにしなければならない。何でも自分が前へしゃしゃり出て、功績をひけらかすようなことをすれば、主君との関係もぎくしやくしたものとなり、世間の評判も決してよくはならない。この辺を十分心得よ」
きいていた家臣たちは、なるほどと感心した。そして、
〈これが、高虎様が、あまり他人から非難されない理由なのだな)
と感じた。つまり、二番手主義を貫くには、
「二番手の立場を守り抜く方法論」
が必要なのだ。藤堂高虎は、その、
「二番手に身を置く技法の達人」
でもあったのである。そしてそれは、この二条城の設計図を二枚作って秀忠の立場を尊重するような、
「常に相手の立場に立って物を考える優しさ・思いやり・温もり」
という、EQに求められることを、かれは四百年前にすでに実行していたということである。
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