|
<本文から>
鎌倉時代・室町時代から江戸時代にかけて栄え、上杉謙信や上杉鷹山らを輩出した上杉家には、代々受け継がれた家訓が存在する。その家訓こそが、群雄割拠の戦国時代から明治までの長い期間、上杉家を支えたのだ。
中でもとりわけ有名なのが、上杉謙信が残した「上杉家家訓十六箇条」。
この家訓に大きな意義があるのは、この家訓を残した上杉謙信の生き方が、時代を超えて尊敬されるべきものだったからにほかならない。
謙信は″戦国時代″と呼ばれる群雄割拠の時代を生きながら、決して自分のために戦を行なうことがなかった。戦えば織田信長や武田信玄、北条氏康といった歴戦の戦国武将にもまったく引けを取らないどころか、その生涯においてほとんど負けたことがないという戦の天才だったにもかかわらずだ。
彼が戦うのは、その戦いに「義」があるときのみ。戦国乱世の秩序回復を心の底より願い、助けを求める者がいれば全力でこれを助けた。
また、争いを減らすため、国を豊かにすることにも尽力し、謙信が当主となってからというもの、越後は全国でも屈指の豊かな国へと変貌を遂げている。
こうした姿勢を持っている人が、歴史上どれだけいただろう。世界を見渡しても、それほど多くないに違いない。もちろん、この謙信の信念は現代でも変わらず通用するものだといえるだろう。「上杉家家訓十六箇条」は、この信念を要約した非常に含蓄のある教えというわけだ。
この偉大なる上杉謙信の教えをもっとも忠実に、色濃く受け継いだのが、戦国一の名参謀とも誉れ高い直江兼続、その人である。兼続の行動を紐解いていくと、御館の乱しかり、新発田重家討伐しかり、直江状しかり、そのひとつひとつが謙信の残した家訓と合致することに気づかされる。 |
|