童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          葉隠の名将 鍋島直茂

■鍋島直茂はオニとホトケになって宿将の気持ちを変えた

<本文から>
つまり現在豊臣秀吉に嫌われ、波海軍の総指揮権まで奪われてしまった旧主の龍造寺政家とその相続人高房たちに心を寄せる宿将たちは、場合によってはどさくさにまぎれて直茂を暗殺するかもしれない。そうされても不思議ではない。直茂はつねに警戒を怠らなかった。しかし警戒する一方、
(日本を離れたことを逆に利用してやろう)
とも思っていた。逆に利用してやろうというのは、
(朝鮮にいる間に、龍道寺系の宿将たちの心をおれにひきつけてみせる)
ということである。しかしそれは短兵急にはおこなえない。地道な積み重ねをして、宿将たちの気持ちを変え、
(やはり鍋島直茂殿はすぐれた大将だ)
と思わせることが大切だ。そこで、加藤清正が感嘆したように、
「鍋鳥直茂殿は名将だ」
 といわれるようなことを、直茂は日々心がけていた。しかし善行だけを積み鵡ねていても時間がかかるし、その日にみえる効果は薄い。思い切った荒療治をすることも必要だ。
 直茂は合戦を通じて、
(おれはオニとホトケになろう)
 と思った。オニになるというのは、
(自分の威を示すために、従わない者を懲らしめる)
 ということだ。ホトケになるということは、
(情の面でいい事例をつくる)
ということである。

■葉隠は、現代にも通じるビジネス読本


<本文から>
 『葉隠』の口若者山本常朝の父神右衛門重澄には、奇人だっただけに数々の発言がある。主だったものを掲げてみる。
一 ひとつのことを理解すれば、自然にほかのことまで飲み込めるものだ。
一 つくりわらいする者は、男の場合は意気地なし、女性の場合は多情である。
一 ものをいうときは、必ず相手の目をみながら話せ。礼ははじめにするだけですむ。うつむいて話をするのは不用心だし、柏手に対しても失礼だ。
一 袴の下に手を入れるのは不用心である。
一 おれは、草紙や書物を読むと、すぐ焼き捨てた0書物をみるのは公熱のすることで、中野一門は樫づくりの木太刀を握って武勇に励む役だ。しかし、本をまったく読まぬのも間違いだ。
一 組にも入らず、馬を持たない侍は侍ではない。
一 他者(剛の者)は頼みがいがある者だ。なぜ頼みがいがあるかといえば、こっちの調子がいいときは絶対に寄りつかない。しかし、こっちがいったん不遇な状況に船ると必ず訪ねてくる。そしてなにくれとなく世話をやいてくれる。
一 毎朝四特に起きて行水をし、さかやさを糾って髪をととのえ、朝食は日が出るころに食べ、日が暮れたら休め。 
一 武士は食わねど高楊枝の精神を持ちつづけ、中は粗末でも外見は立派に飾れ。
 現代の若い人には抵抗もあるだろうが、しかし当時の佐賀武士はみんなこういう考え方を持っていた。したがって『葉隠』という書物は、口述者の山本常朝ひとりの考えを述べたものではなく、父の神右衛門をはじめ、主人の鍋島直茂・勝茂・光茂などの言行にも触れている。また、佐賀武士の人間模様についても、いろいろな例を挙げて記述している。
 筆者が、
「葉隠は、現代にも通じるビジネス読本だ」
 というゆえんだ。

童門冬二著書メニューへ


トップページへ