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<本文から> かれのところには、よくキリシタンのバードレ(神父)がたずねてきた。布教の許可を求めてだった。岐阜や安土で信長はこれを認め、同時に神父たちがもたらす西洋文化を積極的に導入した。岐阜や安土の城下町には、キリシタンの教会・病院・学校・市民会館などが次々と建てられた。日本の町の一角に、ヨーロッパの町がそのまま出現したのである。もちろん建物だけではない。パンやブドウ酒などの食物や珍しい工芸品、衣類なども持ちこまれた。信長自身ヨーロッパ風の服装をし、アフリカの先住民族を供に連れたりしている。神父のひとりがこんなことをいった。
●十五世紀末にイギリスにグレシャムという人物がいた。エリザベス女王の時代だ
●グレシャムがみたところ、そのころのイギリスは輸入超過でイギリスの良貨がどんどん海外へ流出していた。イギリスに残ったのは悪貨ばかりである
そこでグレシャムはエリザベス女王に意見を具申した。
「もっかイギリス国では、良貨が悪貨に駆逐されております。ご是正ください」
この話をきいた信長はなるほどとうなずいた。そこでかれは自分が経営する城下町においては、
「良貨に悪貨を駆逐させよう」
と考えて、よい銭を選んで使えという目的で「撰銭令」を発布した。こんな法律をつくつた人物は世界史にもあまり例がない。 |
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