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<本文から> 吉川英治さんの宮本武蔵は素晴らしかった。だから、「宮本武蔵ではなく、吉川武蔵だ」などともいわれた。
武蔵の生涯は、だれが調べても、この『五輪書』の「地之巻」の冒頭部分に書かれた、「わたしの履歴書」以外に史料がないのだから、これは建造物にたとえると、「太い柱だけの巨大な建物」といえる。あまりにも空間が多すぎる。戸障子もはまっていない。
そこで、吉川さんは自分なりに綿密に土台を構築し、柱を立て直し、壁を塗り、戸障子をはめ込んだ。さらに、塀や庭までつくつた。絢爛たる建造物が出来上がった。そのためいかなる後代の作品も、到底この完成品を超えることはできない。
吉川英治さんは、子供のときから苦労した。『宮本武蔵』のほかにもたくさんの現代小説がある。たとえば、『かんかん虫は唄う』などは、吉川さんが実際に経験した埠頭の辛い労働者の話である。家の事情で高い学歴を得ることが不可能だった吉川さんは、独学で自分の教養を深めた。
宮本武蔵には、吉川さんが自己を投入した部分が多い。いってみれば、吉川さんの「わたしの生き方」が色濃く投影されている。今では日本に数少なくなった、「修養小説・精神形成小説」である。それが宮本武蔵がいまだに多くの人に愛されている所以なのだ。
筆者自身も、青少年時代、この小説によって随分刺激を受けたし、考えさせられもした。
とくに「独行道」における、
「我事において後悔をせず」
という言葉は、「吉川武蔵」におけるいろいろな名場面とともに、いまだにわたしの胸の奥の一角にはっきり打ち込まれていて、何かあるたびに、
「我事において後悔をせず」
と呟いている。というのは、毎日後悔するようなことばかり行なっているからだ。
吉川武蔵は、その意味では、多くの悩む人々に大きな励ましと勇気を与えた。「あなたも生きていていいのですよ」ということを、読む人は揃って吉川さんから保障されていた。
それだけに、「宮本武蔵のことをもっと知りたい」という希求があらゆる層に湧き、先学による研究が次々と成果を生んだ。 |
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