童門冬二著書
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          宮本武蔵の『五輪書』

■武蔵は優れた心理学者

<本文から>
彼はあらゆることに手を出して、それを剣の道に収斂するのではなく、剣の道から発するあらゆる道を、外に向かってあらゆる世界に展開していく。この発想は大事だ。そして、その集約されたものとして、彼は
「政治の道とその方法」
を挙げる。
 政治の道というと、いわゆる政治プロパーの考え方をとりがちだが、ここでいう武蔵の治国のことというのは、そういう限定された政治のことを指しているのではあるまい。広く国を治めるというのは、すなわち人間を治めことであり、それは国の人びとの心をよく知り、それに見合った政事をおこなうという意味だ。
 武蔵は優れた心理学者である。彼が、六十数度の試合をして一度も負けなかったのは、剣技に長じていたこともあるが、それ以上に人間観察者として、相手の心を見抜く洞察力に優れていたからである。
 彼の戦法の多くは心理作戦だ。相手を怒らせ、ときに怯ませ、剣よりも心の動揺を起こさせ、起こった途端、打ち込むというのが武蔵の剣法であった。

■経験を理論化した五輪書

<本文から>
 いうならば、この世の何にでも応用できる原理を発見しようとと努めたのだ。しかも、彼の場合は、
「経験を理論化する」
 という方式を執った。つまり、十三歳から二十八、九歳までの頃は、ほとんど経験だけで終始した。
 そして、三十歳になつたときに突然その「経験」をやめてしまう。いや、世間に対しやめたフリをした。そして実際には、それから二十年の長い年月を費やしてさらに新しい経験を加え、その経験をひねくり回し、こねくり回して、理論化を図っていくのだ。その理論化の過程で兵法の真髄を悟ろうと努めた。限りなき「自己との対話あるいは対決」をくりかえした。
 彼自身はそれを五十歳のときに悟ったという。そして、十年後の六十歳になったときに肥後熊本の岩戸山で、悟った理論を書きはじめる。ここに、武蔵の向日性の行動原理がある。それが現代の私たちを勇気づけてくれるのだ。
 つまり、武蔵は自己という「個」から発して、それを普遍化しようと努めた。その普遍化は、自分個人が楚所有するだけではなくて、この世の中のものは必要なら惜しみなく使っていいという態度である。『五輪書』はそういう書だ。
 自分の血のにじむような、命がけの経験を理論化したものが、単に剣法だけでなく、剣以外のあらゆる諸芸諸能で生きる人びとにとっても、何か参考になればよい、という願いが彼の『五輪書』を書いた目的であったろう。

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