童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          名将に学ぶ人間学

■細川忠興は気疲れする部下は切る

<本文から>
 部下はきいた。
 「私がきらいだ、ということですか?」
 「それもある。が、それは、理由の一部だ。むしろ、おまえのほうが私をきらっている。あるいは馬鹿にしている、といってもよい」
 「……」
 「いいか。私は、上の方針をおまえたち部下に平等に伝えている。情報を人によって按配するなどということはしない。多くの部下は、おまえが得たものと同じ量、同じ質の情報で上が求めるとおりの仕事をしている。
 おまえは、自分を変えようとする気持ちがない。自分はすべて正しいと思っている。悪いのは他人であり、特に上司の私だと思っている。ある固定観念があるからだ。ある固定観念というのは、私がきらいだということだ。
 仕事に対する意見のちがいなら、歩み寄れる。が、好ききらいはどうにもならない。おまえは私をきらい、私もおまえがきらいだ.同じ職場にいるのはお互いによくない。別れたほうがお互いに幸せだ。このままだと、くだらない気ばかり適って、疲れてしかたがない。第一仕事に身が入らない。どこでも好きなところに行け。ここには置かない」
 「……」
 部下はまっさおになった。増長の鼻をへし折られたからだ。
 ふつう管理術の面では、"期待される上司像"ばかり求められて、"期待される部下像"ということはあまり論議されない。片手落ちである。しかも、そういう問題児を使いこなせないと、中間管理職は能力不足を問われる。
 しかし、部下には、相性が悪くてどうにもならない者もいる。まして「きらいだ」という感情を互いに持っていたら、接点はない。
 早期に別れるべきだ。
 細川忠興は、それをびしっと行なった.それが組織のため、ほかの社員のためだ、と信じたからである。
▲UP

■東湖は評判を支配している組織内小人と融合した

<本文から>
「ええ。今井さんの悪口を流したやつは見当がついています。ひとりひとりよびだして、学問・糾弾し、前言を取り消す誓書を書かせるのです。それをまとめて、藩公にお届けすれば、今井さんの異動もお考えなおしくださるでしょう」
 「人民裁判で、脅迫か…」
 東湖は苦笑した。そして、「おまえたちの気持ちはよくわかる。が、脅迫してとった誓書など効果はない。かれらはすぐ前言をひるがえす」
 「そのときは斬ります」
 「そんなことをしたら、藩士の大部分を斬ることになる」
 東湖のいうことは、次第に斉昭に似てきた。青年たちは不満だった。
 「だめですか?」
 「だめだ。蜂起はゆるさぬ」
 東湖はそう制して家に戻った。岡谷繁実(秋元藩士。『名将言行録』の著者)が、東湖を訪ねてきてきいた。
 「若い人たちの蜂起をおとめになったそうですが?」
 「ええ」
 「なぜですか?」
 「小人にはとうていかなわないからです」
 「は?」妙な答えに、岡谷は東潮の顔を見た。
 「よくわかりませんが」
 「正義派は、自分が正しいと思っているからものの考えが粗略です。正しいことをしているという思いあがりで、こまかいことに気を適わないのです。ところが小人は、いつもやましで緊張していますから、どんな小さなことも粗略にしません。粗略な神経と、緻密な禅経で緻密な神経が勝つにきまっています。それに小人狩りをするといっても、数が多いし、またえることがありません。かなわぬ戦いです」
 「では、あなたも小人に屈するのですか?」
「いや、属するのではなく向きあうのです。かれらを軽蔑したり、憎んだりするのでなく、ひとりの人間として向きあうのです。省みると、私には、はじめからかれらへのアレルギーがあったようです」
 「りっぱですね、さすがです」
「ところが」東潮は笑った。「このことは、藩公に教えられたのですよ」
 東湖は自分のことばを実行した。小人を狩らず、かれらと融合した。東湖の評判はあがって組織で、いい評判も悪い評判も、とにかく"評判の製造工場″は、つねに組織内小人が支配している。
 このことを管理者は銘記すべきだ。が、おもねったりおせじを使うことでは決してない。
▲UP

■左遷組の私憤を公憤に変えた松柏

<本文から>
 例によって、部屋に集まって、本社組の悪口をいっている江戸左遷組のところに、松柏が入ってきた。
 「相変わらずだな」と苦笑し、しかし、こんなことをいった。
 「もうそろそろやめろ。人の悪口はきき苦しいし、いっているおまえたちもあと味が悪かろう?もっと楽しい話をしろ」
 「おことばだが」竹俣がいいかえす。
 「先生もご存知のように、われわれは全部、本国からとばされた者ばかりだ。おそらく二度と本国に召し戻されることはあるまい。そんな状況で、どうして楽しい話などできますか」
 「そうかな」
 松柏は笑った。
 「人の悪口をいっているほうが楽しいか?」
 「楽しいですな。溜飲がさがります」
 「うん、それだけだ。溜飲の中からは何も生まれぬ」
 「?」
 「あんたたちの怒りはわかる。が、その怒りは私心だ。なぜ公心に変えないのだ?」
 「公心?」
 「ああ。さいわい、あんたたちは江戸にとばされたおかげで、時間だけはたっぷりある。給与も支給されているのだから、食う心配もない。ならば、いま、腹を立てている米沢藩政のどこが悪いのか、何が問題なのか、そして、どうすれば解決できるのか、そういう議論をすることも決してムダではあるまい?」
 「しかし、そんな議論をしてみても、いったい、いつ役に立つのですか?われわれが本国で役につくことは二度とない」
 「たとえ役につくことがなくても、議論したことを文書にまとめておけばいいではないか。誰か具眼の士が現われれば、目にとめないわけではない…」
 「………」
 左遷組は頻を見あわせた。もともと仕事好きで、藩政を憂えてきた人間ばかりだ。
 松柏のいうことはわかった。松柏はこういっていた。
 「左遷人事と、本来、会社につくすべき責務とは別だ。混同して、青務を忘れるな」と。
 そして、松柏にはすでに″具眼の士″の目算があった。
 世子の鹿山である。鹿山は左遷組の師、細井平洲に学問を教わった。その線で、この養子殿はみどころがある、と思っていた。
 だから、左遷組の反撃の機会を、鷹山につくってもらおうと、心ひそかに思っていたのだ。
 松柏も左遷組である。が、左遷組がまきかえすにしても、左遷されたときのままの人間ではだめだ、と思っていた。
 変身ないし自己変革が必要だ、と思っていた。
 が、松柏自身、ひとりでは自分を変えられない。変えるのには、おれは悪くない、という自信が邪魔をする。
 グループならどうだろう、とかれは考えた。
 「人間が人間に影響を与える。それならば変えられるだろう」
 そして、おれもそのグループに入ろう、そう思って持ちかけためだ。江戸左遷組の相乗効果をねらった。それに、左遷組はマイナス人間だ。が、マイナスとマイナスをかければプラスになる。そう思った。
 万が一、養子殿がわれわれの研究成果を活用してくれるにしても、われわれが昔のままの"トラブルメーカー"では、本国の態度は硬化する。
 そのうえ、養子殿にとっても決してプラスにはならない。
 「あんなやつらにだまされて」と、本国人は背をむける。
 「私憤を公憤に変えよう」というのが松柏の考えであった。
 この考えは成功した。極度の財政難に悩む上杉家の当主になった鹿山は、"イエスマン"をきらった。そして、このグループに目をつけ、その研究成果を採用した。そのころは、グループも自分を変えていた。
 上杉鷹山の改革を成功させたのは、実にこの江戸左遷組であった。
▲UP

■知将・石田三成が情で失敗した城攻め

<本文から>
  奇妙なことが起きた原因は、この水攻め工事に、三成が付近から農民を大主に動員したとである。しかも、タダ働きをさせるのではなく、高い日当と米を惜しげもなく与えた。いままでの徴発とはちがうので、農民はよろこんで参加した.
 これをきいて、城の中からたくさんの兵が農民に化けて加わった。そしてその米はそのまま城中の食糧にし、金は米にかえて、これも城に持ちこんだ。三成の部下がこれに気がついた。
 「城内の敵兵が工事に加わっていますよ」と三成に報告した。三成は笑った。
 「自分の城を攻める工事を手伝う、というのはおもしろいではないか?」
 「いや。こちらで渡す米や金が、敵の籠城を長引かせることになります。殺しましょう」
  「そんなことをしたら、はかの農民がこわがってこなくなる。ほっておけ。工事が完成すれば、城兵はどうせ魚のエジキだ」
 勝者の寛容のようなことをいった。それでなくても知将の三成は、普段から、「あの人は冷たい」といわれていたから、ここは一番、「いや、意外と温かいぞ」といわれたかったのだ。
 温情を和けるのはいいが、前線では逆に士気を弱める。緊張感がゆるむ。
 ″温かく、温かく″をモットーに、敵が人夫になって金と米をかせぐのも黙認するくらいだから、全般的にゆるんだ空気が支配した。それは、土手の各個所の監督、点検にもあらわれた。
 特に、敵の人夫のいるところは、故にさとられまい、というような気くばりをするから、つい大目に見る。
 「ごくろう、ごくろう」で通りすぎてしまう。これが三成の最大の失敗になった。敵の兵は城へ戻ると、石田軍の寛容さを、「まぬけめ!」と大笑いしていたのである.
 工事は完成した。石田軍は包囲の態勢に入った。雨が降りはじめた。城をかこんだ堤の中の水かさが増しはじめた。この分だと、敵がいくら工事で米をかせいだとしても、やがては食糧がつきるだろう、と思われた。補給の通が絶たれるからだ。
 が、ある夜、豪雨がきた。すごい雨で、堤の中の水は異常に盛りあがった。
 「これでは、すぐ落城する」
 水びたしになった城からは、おそらく降参の使者がくるにちがいない、という予測を、石田軍の誰もが持った。三成自身も、「作戦は成功した。おれも知将から武将になれる」とはくそ笑んだ。
 どころが、突然、堤が決壊した。中の水が一斉に石田軍をおそった。石田軍は滞れ、水死者が続出した。あわてふためいた石田軍の包囲態勢がめちゃくちゃにくずれた。
 決壊場所は、敵兵が工事したところであった。
 過度の温情を示して、いいカッコをした三成の誤算であった。
 知将は、やはり″知″でケジメをつけなければだめなのである。柄にない温情を示すと、文字どおり″自分の墓穴を掘る"ことになる。
▲UP

■大田道灌は人事が公正の故に殺された

<本文から>
  他人の足を引っぱるのに、よく使われる方法は、「その人間について、悪評を流す」あるいは、「有力者に直接悪口をいう」などだ。
 前者は、ひどいのになると、ないことまで捏造して流す。
 後者は、たとえば人事を左右できる立場の人間に、「きみは、かれをどう思うか」などときかれる場合と、普段から折あるごとに"先入観"を吹きこむ場合と、ふたつある。
 有力者によっては、そういう"人事のご意見番"おいておいて、肝心なときには必ず、そのご意見番の意見をきく、という方法をとっている。
 このシステムでは、当然ご意見番の意見が公正でなければならないが、それだけではだめだ。
 意見をきく有力者自身が公正でなければだめなのだ。
 有力者も人間だからやむをえないのだが、有力者自身、すでに出世させたい意中の人間がいる。が、その人間の評判がいまいちパッとしない。そこで、ご意見番に意見をきく。
 だが、このときのききかたは、自分の一抹の不安や躊躇を解消するような都合のいい意見を求めている。敏感な人間は、そのへん一を見ぬいて迎合するが、公正な人間はそんなことをしない。堂々と正論をはく。
 しかしこういうことは、必ず洩れる。それは有力者が意中の人間をよんで、「おまえを出世させてやろうかと思ったが、かれが反対した」というからだ。うまくいかなかった青任をご意見番に転嫁してしまう。
 当然、説明された人間は、ご意見番に、「あいつは、おれの足を引っぱりやがった」とうらむ。小人であるほどうらむ。ご意見番の意見が公正であっても、そうは考えない。
 だから、こういう人間にかぎらず、ご意見番が、「あの人間はだめです」といった人間は、
すべてご意見番が足を引っぱったことになる。このへんは、いまも変わらない。人間の人間たるゆえんだ。そして人事がほんとうに公正だったら、サラリーマンは逆につまらなくなるのではないか。ドラマも緊張も生命の燃焼感もなくなり、それこそロボットの社会になってしまう。
 太田道濯は、こういう"人事のご意見番"であった。公正だった。しかし、公正すぎて、かれが足を引っぱった者から、足を引っぱられ、ついに殺された。
▲UP

■商人の気概を見せたエピソード

<本文から>
  「ご用向きは?」
 「主人に会いたい」あくまでも尊大である。手代はとりつぐ.
 きいた主人は、「待たせておけ」と相手にしない。
 家老は店の一隅で待たされた。暮れのことなので店は忙しい。皆、走りまわっている。が、誰も家老など気にしない。家老はジリジリしてきた。エヘンとか、ウフンとか咳ばらいして、自分の存在を誇示するが、店の者は知らん顔だ。主人からそういいつけられている。店にはほかの客も出入りする。変な務をして家老を見る。家老は屈辱感と憤りで、頭が破れそうになった。
 夜になって店は閉じられた。やっと主人が出てきた。
 「お待たせしました」とニコニコ笑っている。さすがに店の者はハラハラして奥から見守った。爆発しそうな気分をおさえて、家老はいった。「おれは○○藩の家老だ。金を借りに、わざわざ国もとから江戸に出てきた」
 恩に着せるような口調だ。主人は無言でキセルにタバコをつめ、火をつけて、深々と吸いこみ、ふうっと煙を家老の顔に吹きつけた。
 家老の目に怒りの色が走り、からだがさっと緊張した。刀に手が行くかまえだ。しかし、商人は平然としている。気をしずめた家老は、もう一度「金を借りにわざわぎ江戸へ参った」とくりかえした。主人は横を向いて知らん顔だ。
 たまりかねた家老は、「返事をしろ! 無礼者め!」とどなった。すると主人はジロリと家老を見つめた。
 「それが金を借りる人の態度ですか?」
 「なに?」
 「金を借りるのに、そんなにいばる人がありますか。借りたければ、手を突いてたのみなさい」
 「……」
 奥にいる店の者は一斉に青くなる。家老は顔を十色に変化させたが、やがて家老は手を突いた。
 「たのむ……」といった。
 「たのむ、じやなく、たのみます、です」
 「…たのみます」
 「誠意がこもっていませんな。いやいやだ。手は突いても、頭はさげず、目も私をにらんでいる。私のほうは、別にお貸ししなくてもいいんですよ」
 「たのみます!」
 「大声を出さないでください」
 「今日、金を借りて帰らなければ、蒲はつぶれるのだ。貸してくれなければ、ここで腹を切る」
 「それがいやなんです。あなたは腹を切って、あとをどうなさるんですか? 無音任というものです」
 「しか心、おれは遠い国もとからわぜゎぎ」
 「その、わざわざという考えが私はきらいなんです。私のほうで、おいでくださいとお願いしたわけではありませんよ」
 見かねた番頭が、ついに金の包みを持って出てきて、主人を突っついた。さんざんいやがらせをしたのち、主人は家老に金を渡した。そして家老が帰ったあと、「汚ない権力には、あのくらいの気概を見せなければだめだ。何がわざわざ江戸にきた、だ」と吐き捨てるようにいった。主人はいのちがけで、店の者に商人の意地を示したのである。
 余談だが、このときの家老は、国に戻ると、武士を捨てて帰農したという。かれもまたこの世がばかばかしくなったのだ。
▲UP

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