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<本文から> 部下はきいた。
「私がきらいだ、ということですか?」
「それもある。が、それは、理由の一部だ。むしろ、おまえのほうが私をきらっている。あるいは馬鹿にしている、といってもよい」
「……」
「いいか。私は、上の方針をおまえたち部下に平等に伝えている。情報を人によって按配するなどということはしない。多くの部下は、おまえが得たものと同じ量、同じ質の情報で上が求めるとおりの仕事をしている。
おまえは、自分を変えようとする気持ちがない。自分はすべて正しいと思っている。悪いのは他人であり、特に上司の私だと思っている。ある固定観念があるからだ。ある固定観念というのは、私がきらいだということだ。
仕事に対する意見のちがいなら、歩み寄れる。が、好ききらいはどうにもならない。おまえは私をきらい、私もおまえがきらいだ.同じ職場にいるのはお互いによくない。別れたほうがお互いに幸せだ。このままだと、くだらない気ばかり適って、疲れてしかたがない。第一仕事に身が入らない。どこでも好きなところに行け。ここには置かない」
「……」
部下はまっさおになった。増長の鼻をへし折られたからだ。
ふつう管理術の面では、"期待される上司像"ばかり求められて、"期待される部下像"ということはあまり論議されない。片手落ちである。しかも、そういう問題児を使いこなせないと、中間管理職は能力不足を問われる。
しかし、部下には、相性が悪くてどうにもならない者もいる。まして「きらいだ」という感情を互いに持っていたら、接点はない。
早期に別れるべきだ。
細川忠興は、それをびしっと行なった.それが組織のため、ほかの社員のためだ、と信じたからである。 |
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