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<本文から> ○つまり、藩の財政難は、すべての藩士に関わりがあるのであって、他人事だとか、対岸の火事だなどと考えることは許さない、ということを徹底したことだ。
○それを徹底していくために、かれは手続きの上でいろいろと工夫を凝らした。それは、トップの真田幸弘だけでなく、その一族からも誓書を取り、さらに藩の重役や、全藩士からも誓書を取ったことである。誓書には、前に書いたように、
「恩田木工のいうことには、どんなことでも従う」と書かれていた。
○同じことを、かれは、自分の家族や親戚に対しても行なった。
○それは、真田幸弘というトップが範を示した「まず隗より始めよ」ということを、自分の家でも実行したのである。
○全藩士を集めて、財政白書を発表し、藩財政が容易ならない状況にあることを赤裸々に告げた。そして、協力を求めた。前に書いたような、半知借りあげを廃止したり、遊芸を奨励したり、バクチをすすめるようなことをいった事実はまったくない。
○村役人に対していったことの一部は本当だろう。本当だろうということは、借金踏み倒しの部分と、先に納めた税は、損をしたと思って、今年の分をもう一度納めろというような言い方である。これは、明らかにべテンだといっていい。しかし、そうは思わせないような迫力が木工の演説にあったということだ。
これらのことを考えると、かなり強引だったが、恩田木工の目的は、
「改革の前提になる、トップをはじめ仝藩士、ならびに全藩民の意識変革に力点をおいた」ということができるだろう。その意味では、恩田木工のやったことは成功しているのだ。トップの真田幸弘はじめ、全藩士、ならびに全仝藩民がその気になったからである。
もうひとつ見落としてならないのは、こういう財政難の時期に、かれは、
「藩士と藩民の再教育」を徹底的に行なったことである。これは、すぐ役立つような改革の方法を教えたのではなく、むしろ人間としての向上策を教えたのだが、結果としては、木工が目的としている、
「真田藩の財政危機をよく認識して、生活態度を改める」という考えを生ませた。いわば、「藩士と藩民に対する研修を行なった」といえるのだ。 |
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